第2の哨戒 1943年5月 - 7月
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「スコーピオン (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年5月 - 7月」の解説
5月29日、スコーピオンは2回目の哨戒で東シナ海、黄海方面に向かった。6月2日にミッドウェー島に到着して給油した後、担当海域に針路を向ける。6月21日にトカラ列島周辺に着き、台湾と長崎間の航路を哨戒した。6月28日にトカラ列島の哨区を後にして黄海に向かい、6月30日に到着。山東半島付近を哨戒した。7月3日、スコーピオンは北緯38度21分 東経124度24分 / 北緯38.350度 東経124.400度 / 38.350; 124.400の大同江河口沖で、1隻の護衛艦がついた5隻の輸送船からなる秦皇島行きの輸送船団を発見。9時55分に魚雷を三度にわたり計6本発射したあと、46メートルの深度でじっとしていた。程なく爆雷攻撃が始まり、10時2分と6分、8分には比較的至近距離で爆雷が炸裂し危機が迫っていたが、1時間に及ぶ攻撃の間、スコーピオンは水中でうまく立ち回り、11時49分に潜望鏡深度に戻して探索したところ、護衛艦は6.4キロ先にいたがこちらには気付いていない様子であり、スコーピオンはその場を立ち去った。スコーピオンが発射した魚雷は2隻の輸送船、鞍山丸(大連汽船、3,690トン)と黒竜丸(大連汽船、6,112トン)に命中して両船を撃沈したことが戦後に判明したが、当時スコーピオンは「4,000トン級輸送船3隻撃破」と判定していた。爆雷攻撃で少なからず損傷を受けたスコーピオンは、トカラ列島周辺を航行して引き返していったが、7月7日に北緯29度23分 東経129度50分 / 北緯29.383度 東経129.833度 / 29.383; 129.833の悪石島付近を航行中、九六式陸攻と思われる航空機の攻撃を受けた。7月15日にミッドウェー島に寄港。7月26日、スコーピオンは48日間の行動を終えて真珠湾に帰投。修理と訓練に従事し、艦長がマクシミリアン・G・シュミット少佐(アナポリス1932年組)に代わった。
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