第2の哨戒 1943年5月 - 7月とは? わかりやすく解説

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第2の哨戒 1943年5月 - 7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:30 UTC 版)

スコーピオン (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年5月 - 7月」の解説

5月29日スコーピオン2回目の哨戒東シナ海黄海方面向かった6月2日ミッドウェー島到着して給油した後、担当海域針路を向ける。6月21日トカラ列島周辺着き台湾長崎間の航路哨戒した。6月28日トカラ列島の哨区を後にして黄海向かい6月30日到着山東半島付近哨戒した。7月3日スコーピオン北緯38度21東経12424分 / 北緯38.350度 東経124.400度 / 38.350; 124.400の大同江河口沖で、1隻の護衛艦がついた5隻の輸送船からなる秦皇島行き輸送船団発見。9時55分に魚雷三度にわたり計6本発射したあと、46メートル深度じっとしていた。程なく爆雷攻撃始まり10時2分と6分、8分には比較至近距離爆雷炸裂危機迫っていたが、1時間に及ぶ攻撃の間、スコーピオン水中でうまく立ち回り1149分に潜望鏡深度戻して探索したところ、護衛艦6.4キロ先にいたがこちらには気付いていない様子であり、スコーピオンその場立ち去ったスコーピオン発射した魚雷は2隻の輸送船鞍山丸(大連汽船、3,690トン)と黒竜丸大連汽船、6,112トン)に命中して両船を撃沈したことが戦後判明したが、当時スコーピオンは「4,000トン輸送船3隻撃破」と判定していた。爆雷攻撃少なからず損傷受けたスコーピオンは、トカラ列島周辺航行して引き返していったが、7月7日北緯2923東経12950分 / 北緯29.383度 東経129.833度 / 29.383; 129.833の悪石島付近航行中九六式陸攻思われる航空機攻撃受けた7月15日ミッドウェー島寄港7月26日スコーピオン48日間行動終えて真珠湾帰投修理訓練従事し艦長マクシミリアン・G・シュミット少佐アナポリス1932年組)に代わった。

※この「第2の哨戒 1943年5月 - 7月」の解説は、「スコーピオン (潜水艦)」の解説の一部です。
「第2の哨戒 1943年5月 - 7月」を含む「スコーピオン (潜水艦)」の記事については、「スコーピオン (潜水艦)」の概要を参照ください。

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