第2の哨戒 1943年1月 - 2月
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「ホエール (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年1月 - 2月」の解説
1月3日、ホエールは2回目の哨戒でマーシャル諸島方面に向かった。途中で訓練を実施した後、1月10日からはクェゼリン環礁とウォッジェ環礁の近海で2日間の哨戒を行った。1月13日、ホエールはクェゼリン環礁とトラック諸島間の航路の哨戒に移動。ほどなく北緯09度54分 東経167度07分 / 北緯9.900度 東経167.117度 / 9.900; 167.117の地点で1隻の輸送船を発見し、この目標に対して魚雷を4本発射した。攻撃を受けた特設運送船(給炭油)岩代丸(会陽汽船、3,550トン)は船尾と船橋の下に魚雷が命中し、6分で沈んでいった。ホエールは再びトラック諸島に向けて航海した。1月17日、ホエールは北緯10度10分 東経151度25分 / 北緯10.167度 東経151.417度 / 10.167; 151.417のトラック諸島北約400キロの地点で2隻の大型船を発見。護衛艦はいなかった。14時過ぎ、ホエールは大型船のうちの1隻である海軍徴傭船平洋丸(日本郵船、9,815トン)に対して、まず魚雷を5本発射して4本命中させる。続いて艦尾発射管から魚雷を1本発射し、平洋丸の後部に命中させた。平洋丸は沈む気配を見せず、約2時間後にさらに魚雷を計3本発射し、全て命中させる。最後の攻撃から約1時間たって後に平洋丸は沈み、ホエールは平洋丸を観測し、何百人ものの軍人が脱出しているのを見た。ホエールは次の1週間をカロリン諸島での哨戒にあてた。1月25日夜、ホエールは北緯08度30分 東経156度40分 / 北緯8.500度 東経156.667度 / 8.500; 156.667の地点で「昭洋丸級タンカー」を発見して追跡し、日付が1月26日に変わった直後に艦尾発射管から魚雷を3本発射して1本が命中したと判断されるが、反撃を受けてダメージを負った。浮上哨戒を行っていた同日午後にも輸送船を発見し、夜に入って北緯12度10分 東経155度15分 / 北緯12.167度 東経155.250度 / 12.167; 155.250の地点で魚雷1本を発射し命中させたが、乾いた音しか聞こえてこなかった。1月27日朝、ホエールは北緯13度25分 東経154度40分 / 北緯13.417度 東経154.667度 / 13.417; 154.667の地点でサイパン島東方約470海里の地点で輸送船を発見し、魚雷を2本発射するが命中しなかった。ホエールは追撃し、午後に入って北緯14度15分 東経153度43分 / 北緯14.250度 東経153.717度 / 14.250; 153.717の地点で最後に残った1本の魚雷を発射して目標に命中させた。ホエールは一連の攻撃で特設運送船松安丸(松岡汽船、5,624トン)に損傷を与え、松安丸はサイパン島に曳航されていった。2月2日、ホエールは30日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。艦長がアルバート・C・バローズ少佐(アナポリス1928年組)に代わった。
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