第2の哨戒 1943年1月 - 2月とは? わかりやすく解説

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第2の哨戒 1943年1月 - 2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 14:54 UTC 版)

ホエール (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年1月 - 2月」の解説

1月3日ホエール2回目の哨戒マーシャル諸島方面向かった途中で訓練実施した後、1月10日からはクェゼリン環礁ウォッジェ環礁近海2日間の哨戒行った1月13日ホエールクェゼリン環礁トラック諸島間の航路哨戒移動ほどなく北緯0954東経16707分 / 北緯9.900度 東経167.117度 / 9.900; 167.117の地点で1隻の輸送船発見し、この目標に対して魚雷を4本発射した攻撃受けた特設運送船給炭油)岩代丸(会陽汽船、3,550トン)は船尾船橋の下に魚雷命中し6分沈んでいった。ホエールは再びトラック諸島向けて航海した1月17日ホエール北緯10度10東経15125分 / 北緯10.167度 東経151.417度 / 10.167; 151.417のトラック諸島北約400キロ地点で2隻の大型船発見護衛艦はいなかった。14時過ぎ、ホエール大型船のうちの1隻である海軍徴傭平洋丸日本郵船、9,815トンに対して、まず魚雷を5本発射して4本命中させる続いて艦尾発射管から魚雷を1本発射し平洋丸後部命中させた。平洋丸は沈む気配見せず、約2時間後にさらに魚雷を計3本発射し全て命中させる最後の攻撃から約1時間たって後に平洋丸沈みホエール平洋丸観測し、何百人ものの軍人脱出しているのを見たホエール次の1週間カロリン諸島での哨戒にあてた。1月25日夜、ホエール北緯0830東経15640分 / 北緯8.500度 東経156.667度 / 8.500; 156.667の地点で「昭洋丸級タンカー」を発見して追跡し日付1月26日変わった直後艦尾発射管から魚雷3本発射して1本が命中した判断されるが、反撃受けてダメージ負った浮上哨戒行っていた同日午後に輸送船発見し夜に入って北緯12度10東経15515分 / 北緯12.167度 東経155.250度 / 12.167; 155.250の地点魚雷1本を発射し命中させたが、乾いた音し聞こえてこなかった。1月27日朝、ホエール北緯13度25東経15440分 / 北緯13.417度 東経154.667度 / 13.417; 154.667の地点サイパン島東方470海里地点輸送船発見し魚雷を2本発射する命中しなかった。ホエール追撃し午後に入って北緯14度15分 東経15343分 / 北緯14.250度 東経153.717度 / 14.250; 153.717の地点最後に残った1本の魚雷発射して目標命中させた。ホエール一連の攻撃特設運送船松安丸(松岡汽船、5,624トン)に損傷与え松安丸はサイパン島曳航されていった2月2日ホエール30日間行動終えてミッドウェー島帰投艦長アルバート・C・バローズ少佐アナポリス1928年組)に代わった。

※この「第2の哨戒 1943年1月 - 2月」の解説は、「ホエール (潜水艦)」の解説の一部です。
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