第2の哨戒 1943年8月 - 10月
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「ハーダー (SS-257)」の記事における「第2の哨戒 1943年8月 - 10月」の解説
8月24日、ハーダーは2回目の哨戒で日本近海に向かった。9月9日未明、ハーダーはレーダーにより横浜から函館に向かっていた輸送船団を発見。明け方に北緯35度23分 東経140度38分 / 北緯35.383度 東経140.633度 / 35.383; 140.633の犬吠埼東南東11キロの地点で魚雷を3本発射し、うち1本が輸送船甲陽丸(日本郵船、3,022トン)に命中した。魚雷は不発だったが命中の衝撃で船体に亀裂が走っており、被雷後半日経って沈没していった。不発だったゆえか、ハーダーの攻撃記録は当初は「与えた損害なし」と記された。攻撃直後に護衛の第3号掃海艇がハーダーから約1,100メートル離れて通過したが、ハーダーに気づいた様子はなかった。翌9月10日夜にも御蔵島沖でレーダーで目標を探知し、9月11日未明にいたって北緯33度50分 東経139度33分 / 北緯33.833度 東経139.550度 / 33.833; 139.550の地点で輸送船団の斜め前方に進出して魚雷を3本発射。魚雷は特設運送船陽光丸(三光汽船、1,050トン)に命中して撃沈した。9月12日にも石廊崎近海で2隻の輸送船を発見して攻撃に移ろうとしたが、直前に航空機に制圧された。翌9月13日には北緯34度40分 東経138度45分 / 北緯34.667度 東経138.750度 / 34.667; 138.750の地点で護衛艦を配した2隻の輸送船を発見し、魚雷を2本発射したが命中せず、再び航空機が現れたので身を隠した。制圧は中休みをはさんで9月15日まで及び、ハーダーの電池は浮上と潜航を繰り返したことによって充電が十分にできなかったため、もう少しで電力が失われるところだった。その9月15日、ハーダーは北緯34度05分 東経139度15分 / 北緯34.083度 東経139.250度 / 34.083; 139.250の地点で単独航行中の掃海艇を発見し、真後ろから魚雷を2本発射したが命中しなかった。9月19日、ハーダーは北緯33度26分 東経135度39分 / 北緯33.433度 東経135.650度 / 33.433; 135.650の潮岬260度6.5海里の地点で駒橋が護衛する輸送船団を発見し、魚雷を3本ずつ計6本発射して輸送船加智山丸(西日本汽船、814トン)に2本命中させて撃沈した。おりしも悪天候だったため、ハーダーはその悪天候の中に逃げ込んだ。9月23日にも北緯34度20分 東経137度05分 / 北緯34.333度 東経137.083度 / 34.333; 137.083の大王崎沖で輸送船団を探知して正面よりの位置から魚雷を3本ずつ計6本発射し、タンカー大神丸(大岩汽船部、5,574トン)と輸送船弘和丸(北海船舶、4,520トン)に2本ずつ命中させ両船とも撃沈した。9月28日朝、ハーダーは北緯33度40分 東経136度05分 / 北緯33.667度 東経136.083度 / 33.667; 136.083の地点で5隻の輸送船団を発見して、最後に残った魚雷を2本発射したが命中しなかった。魚雷を使い切ったハーダーは針路を東に向けた。9月30日午後、ハーダーは推定位置北緯34度10分 東経150度49分 / 北緯34.167度 東経150.817度 / 34.167; 150.817の地点で漁船のようなものを発見した。一方、東経150度線での哨戒に任じていた第二監視艇隊所属の第三松成丸と第二旭丸(立石松義、164トン)もほぼ同じ頃にハーダーを発見していた。ハーダーはそのまま東に去ろうとしたが、第三松成丸が接近してきたので無視できなくなり16時21分、2隻に対して発砲。第三松成丸と第二旭丸も同時刻に撃ち返してきた。ハーダーは最初のうちは太陽を背に有利な態勢であったが、日が暮れるに従って第三松成丸と第二旭丸が次々と発煙筒を投げ込み視界が悪くなった。ハーダーは命中弾こそ与えたが攻撃は不徹底に終わり、東方に脱出した。10月8日、ハーダーは46日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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