第2の哨戒 1943年6月 - 9月とは? わかりやすく解説

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第2の哨戒 1943年6月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:19 UTC 版)

スティールヘッド (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年6月 - 9月」の解説

6月30日スティールヘッド2回目の哨戒トラック諸島方面向かった7月10日夜、スティールヘッドハリバット (USS Halibut, SS-232) およびポーギー (USS Pogy, SS-266) とともに哨戒中、北緯10度21東経15049分 / 北緯10.350度 東経150.817度 / 10.350; 150.817のトラック諸島北方170海里地点5つ目標発見する九九式艦上爆撃機27機と零戦45機を輸送中の空母雲鷹特設巡洋艦愛国丸大阪商船10,438トンに対してスティールヘッド魚雷を5本発射し、うち3本命中するような音が聞こえた。しかし、この戦闘ではハリバット愛国丸撃破しただけに終わった7月15日には北緯0831分 東経15130分 / 北緯8.517度 東経151.500度 / 8.517; 151.500の地点で、2隻の最上型重巡洋艦目される目標発見したが、振り切られた。8月5日未明スティールヘッド北緯0817東経14954分 / 北緯8.283度 東経149.900度 / 8.283; 149.900の地点レーダーにより複数目標探知。やがて「3隻の城のような艦」を含む日本艦隊発見し魚雷戦艦武蔵に対して4本、雲鷹に対して6本発射した。やがて2本が爆発する音が聞こえ、ウェルシェル艦長は「おそらく雲鷹に2本命中」と判断した。しかし、実際に魚雷早期爆発起こして雲鷹にも武蔵にも命中しなかった。駆逐艦爆雷攻撃実施したが、スティールヘッドの艦体を揺さぶったけだったスティールヘッドその後もう一度攻撃しよう接近試みたが、艦隊猛スピード去っていき、攻撃できなかった。3時45分にはレーダーからも消え去った8月16日スティールヘッド47日間行動終えて真珠湾帰投修理行った

※この「第2の哨戒 1943年6月 - 9月」の解説は、「スティールヘッド (潜水艦)」の解説の一部です。
「第2の哨戒 1943年6月 - 9月」を含む「スティールヘッド (潜水艦)」の記事については、「スティールヘッド (潜水艦)」の概要を参照ください。

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