第2の哨戒 1943年6月 - 9月
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「スティールヘッド (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年6月 - 9月」の解説
6月30日、スティールヘッドは2回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。7月10日夜、スティールヘッドはハリバット (USS Halibut, SS-232) およびポーギー (USS Pogy, SS-266) とともに哨戒中、北緯10度21分 東経150度49分 / 北緯10.350度 東経150.817度 / 10.350; 150.817のトラック諸島北方170海里の地点で5つの目標を発見する。九九式艦上爆撃機27機と零戦45機を輸送中の空母雲鷹と特設巡洋艦愛国丸(大阪商船、10,438トン)に対してスティールヘッドは魚雷を5本発射し、うち3本が命中するような音が聞こえた。しかし、この戦闘ではハリバットが愛国丸を撃破しただけに終わった。7月15日には北緯08度31分 東経151度30分 / 北緯8.517度 東経151.500度 / 8.517; 151.500の地点で、2隻の最上型重巡洋艦と目される目標を発見したが、振り切られた。8月5日未明、スティールヘッドは北緯08度17分 東経149度54分 / 北緯8.283度 東経149.900度 / 8.283; 149.900の地点でレーダーにより複数の目標を探知。やがて「3隻の城のような艦」を含む日本艦隊を発見し、魚雷を戦艦武蔵に対して4本、雲鷹に対して6本発射した。やがて2本が爆発する音が聞こえ、ウェルシェル艦長は「おそらく雲鷹に2本命中」と判断した。しかし、実際には魚雷は早期爆発を起こして雲鷹にも武蔵にも命中しなかった。駆逐艦が爆雷攻撃を実施したが、スティールヘッドの艦体を揺さぶっただけだった。スティールヘッドはその後もう一度攻撃しようと接近を試みたが、艦隊は猛スピードで去っていき、攻撃できなかった。3時45分にはレーダーからも消え去った。8月16日、スティールヘッドは47日間の行動を終えて真珠湾に帰投。修理を行った。
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