第2の哨戒 1943年12月 - 1944年1月とは? わかりやすく解説

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第2の哨戒 1943年12月 - 1944年1月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 06:49 UTC 版)

ラッシャー (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年12月 - 1944年1月」の解説

12月19日ラッシャー2回目の哨戒ブルーフィッシュ (USS Bluefish, SS-222) とウルフパック構成し南シナ海向かった1944年1月4日未明に、北緯0901東経10638分 / 北緯9.017度 東経106.633度 / 9.017; 106.633から北緯0858東経10643分 / 北緯8.967度 東経106.717度 / 8.967; 106.717までのサイゴン港にいたる水路機雷敷設。同じ日の午後ラッシャー北緯0645分 東経10852分 / 北緯6.750度 東経108.867度 / 6.750; 108.867のナトゥナ諸島北北東沖で、ミリからサンジャック向かっていたタンカー3隻からなる船団発見した夜に入ってから北緯0648東経10850分 / 北緯6.800度 東経108.833度 / 6.800; 108.833の地点いたったところでラッシャー先に攻撃開始しタンカー向けて魚雷を4本発射したが、途中で爆発した船団混乱しタンカー護衛艦右往左往している様子であった2210分ごろにブルーフィッシュタンカー八紘丸(共同企業、6,046トン)を撃沈したが、これは先にラッシャー最初の攻撃目標としていたものであったラッシャー2番目の攻撃目標を追うことにして、その目標向けて魚雷を6本発射し、2本の命中確認できたが沈没はしなかった。ラッシャー3番目の攻撃目標である特設運送船給油紀洋丸浅野物産、7,251トン)を追跡し1月5日朝に北緯0546東経10836分 / 北緯5.767度 東経108.600度 / 5.767; 108.600の地点いたったところで紀洋丸に対して魚雷を4本発射、うち2本が紀洋丸命中した瞬間紀洋丸は大爆発起こし、炎のきのこ雲残骸油膜残して轟沈した。1月11日夜には、北緯11度37東経10920分 / 北緯11.617度 東経109.333度 / 11.617; 109.333の地点輸送船団発見して魚雷3本ずつ計6本発射し爆発確認するも3隻の護衛艦発見したため逃走移り戦果確認打ち切られる。1月17日夜に南緯0516東経12318分 / 南緯5.267度 東経123.300度 / -5.267; 123.300の地点で「愛国丸輸送船」と駆逐艦発見して最後に残った1本の魚雷発射したが、失敗終わった1月24日ラッシャー36日間行動終えてフリーマントル帰投した。

※この「第2の哨戒 1943年12月 - 1944年1月」の解説は、「ラッシャー (潜水艦)」の解説の一部です。
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