第2の哨戒 1943年12月 - 1944年1月
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「ラッシャー (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年12月 - 1944年1月」の解説
12月19日、ラッシャーは2回目の哨戒でブルーフィッシュ (USS Bluefish, SS-222) とウルフパックを構成し南シナ海に向かった。1944年1月4日未明に、北緯09度01分 東経106度38分 / 北緯9.017度 東経106.633度 / 9.017; 106.633から北緯08度58分 東経106度43分 / 北緯8.967度 東経106.717度 / 8.967; 106.717までのサイゴン港にいたる水路に機雷を敷設。同じ日の午後、ラッシャーは北緯06度45分 東経108度52分 / 北緯6.750度 東経108.867度 / 6.750; 108.867のナトゥナ諸島北北東沖で、ミリからサンジャックに向かっていたタンカー3隻からなる船団を発見した。夜に入ってから北緯06度48分 東経108度50分 / 北緯6.800度 東経108.833度 / 6.800; 108.833の地点にいたったところでラッシャーが先に攻撃を開始し、タンカーに向けて魚雷を4本発射したが、途中で爆発した。船団は混乱し、タンカーも護衛艦も右往左往している様子であった。22時10分ごろにブルーフィッシュがタンカー八紘丸(共同企業、6,046トン)を撃沈したが、これは先にラッシャーが最初の攻撃目標としていたものであった。ラッシャーは2番目の攻撃目標を追うことにして、その目標に向けて魚雷を6本発射し、2本の命中は確認できたが沈没はしなかった。ラッシャーは3番目の攻撃目標である特設運送船(給油)紀洋丸(浅野物産、7,251トン)を追跡し、1月5日朝に北緯05度46分 東経108度36分 / 北緯5.767度 東経108.600度 / 5.767; 108.600の地点にいたったところで紀洋丸に対して魚雷を4本発射、うち2本が紀洋丸に命中した瞬間、紀洋丸は大爆発を起こし、炎のきのこ雲と残骸と油膜を残して轟沈した。1月11日夜には、北緯11度37分 東経109度20分 / 北緯11.617度 東経109.333度 / 11.617; 109.333の地点で輸送船団を発見して魚雷を3本ずつ計6本発射し、爆発を確認するも3隻の護衛艦を発見したため逃走に移り、戦果確認は打ち切られる。1月17日夜にも南緯05度16分 東経123度18分 / 南緯5.267度 東経123.300度 / -5.267; 123.300の地点で「愛国丸型輸送船」と駆逐艦を発見して最後に残った1本の魚雷を発射したが、失敗に終わった。1月24日、ラッシャーは36日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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