第2の哨戒 1944年12月とは? わかりやすく解説

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第2の哨戒 1944年12月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:09 UTC 版)

バーゴール (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1944年12月」の解説

12月2日バーゴール2回目の哨戒南シナ海向かった。この哨戒では機雷敷設任務加えられていた。エクスマス湾で給油の後、哨区に到着した12月13日夜、バーゴール北緯0809東経10540分 / 北緯8.150度 東経105.667度 / 8.150; 105.667のインドシナ半島カモー岬沖を浮上航行し機雷敷設準備最中、2隻の目標レーダー32,000メートルの距離で探知したバーゴール作業中止してこの目標注目することとし、やがて、目標少しずつ見えてきた。この目標は、レイテ沖海戦での損傷日本本土で行うべく回航される重巡洋艦妙高と、護衛日本回航兼ねていた駆逐艦であったバーゴール浮上したまま妙高攻撃する態勢取り一方妙高も距離12,000メートル位置浮上するバーゴールの姿を確認したバーゴール浮上したまま妙高対し魚雷6本を発射妙高魚雷音を探知してから回避運動入ったものの、魚雷1本が艦尾命中し大破航行不能となった妙高主砲高角砲二二電探使用した射撃実施し主砲弾1発がバーゴール前部魚雷発射管室の左舷側に命中する不発弾終わった。それでも砲弾バーゴールの艦体を貫通し耐圧区画穴を開けた。もう1弾バーゴール後方落ちた主砲命中により空気系統の管や電気回路大きく損傷し火災発生させ、バーゴール潜航不能に陥った。事に至ってバーゴール妙高再度攻撃することも出来ず応急修理の上司令部救援仰いだ司令部からの命令により、バーゴールの哨区近くにいたアングラー (USS Angler, SS-240) がバーゴール救援向かった2日後12月15日アングラーバーゴールとの会合成功一部乗組員アングラー移乗させ、ハイド以下のバーゴール幹部責任者として残留したアングラーには予め、「状況困難な場合バーゴール乗員を完全に移乗させた上でバーゴール自沈処分してもよろしい」という命令与えられており、実際に処分のための魚雷セットされていたが、奇跡的にそのような切羽詰った状況にならず、またハイドバーゴール捨てることを潔しとしなかったため、バーゴールアングラー護衛の下、フリーマントルに引き返すこととなったカリマタ海峡ジャワ海ロンボク海峡日本がいまだ制海権保持していた水域浮上したまま無事通過し12月20日エクスマス湾に到着して改め哨戒に向かうアングラー別れた12月23日バーゴール21日間の行動終えてフリーマントル帰投した。妙高シンガポール退避し、そこで終戦迎えた

※この「第2の哨戒 1944年12月」の解説は、「バーゴール (潜水艦)」の解説の一部です。
「第2の哨戒 1944年12月」を含む「バーゴール (潜水艦)」の記事については、「バーゴール (潜水艦)」の概要を参照ください。

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