第2の哨戒 1944年12月
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「バーゴール (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1944年12月」の解説
12月2日、バーゴールは2回目の哨戒で南シナ海に向かった。この哨戒では機雷敷設も任務に加えられていた。エクスマス湾で給油の後、哨区に到着した。12月13日夜、バーゴールは北緯08度09分 東経105度40分 / 北緯8.150度 東経105.667度 / 8.150; 105.667のインドシナ半島カモー岬沖を浮上航行し機雷敷設の準備の最中、2隻の目標をレーダーで32,000メートルの距離で探知した。バーゴールは作業を中止してこの目標に注目することとし、やがて、目標が少しずつ見えてきた。この目標は、レイテ沖海戦での損傷を日本本土で行うべく回航される重巡洋艦妙高と、護衛と日本回航を兼ねていた駆逐艦潮であった。バーゴールは浮上したまま妙高を攻撃する態勢を取り、一方の妙高も距離12,000メートルの位置に浮上するバーゴールの姿を確認した。バーゴールは浮上したまま妙高に対し魚雷6本を発射。妙高は魚雷音を探知してから回避運動に入ったものの、魚雷1本が艦尾に命中し大破、航行不能となった。妙高は主砲と高角砲で二二号電探を使用した射撃を実施し、主砲弾1発がバーゴールの前部魚雷発射管室の左舷側に命中するが不発弾に終わった。それでも砲弾はバーゴールの艦体を貫通し、耐圧区画に穴を開けた。もう1弾はバーゴールの後方に落ちた。主砲弾命中により空気系統の管や電気回路が大きく損傷し火災を発生させ、バーゴールは潜航不能に陥った。事に至ってバーゴールは妙高に再度攻撃することも出来ず、応急修理の上司令部に救援を仰いだ。司令部からの命令により、バーゴールの哨区近くにいたアングラー (USS Angler, SS-240) がバーゴールの救援に向かった。2日後の12月15日にアングラーはバーゴールとの会合に成功。一部の乗組員をアングラーに移乗させ、ハイド以下のバーゴールの幹部は責任者として残留した。アングラーには予め、「状況が困難な場合はバーゴール乗員を完全に移乗させた上で、バーゴールを自沈処分してもよろしい」という命令も与えられており、実際に処分のための魚雷もセットされていたが、奇跡的にそのような切羽詰った状況にならず、またハイドがバーゴールを捨てることを潔しとしなかったため、バーゴールはアングラーの護衛の下、フリーマントルに引き返すこととなった。カリマタ海峡、ジャワ海、ロンボク海峡と日本がいまだ制海権を保持していた水域を浮上したまま無事通過し、12月20日にエクスマス湾に到着して、改めて哨戒に向かうアングラーと別れた。12月23日、バーゴールは21日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。妙高はシンガポールに退避し、そこで終戦を迎えた。
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