第2の哨戒、1944年10月 - 1944年12月
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「クイーンフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒、1944年10月 - 1944年12月」の解説
10月末、クイーンフィッシュは2回目の哨戒でバーブ、ピクーダ (USS Picuda, SS-382) とウルフパック「ラフリンズ・ルーパーズ Loughlin's Loopers」を組んで東シナ海に向かった。艦長のラフリン少佐はウルフパックも指揮することとなった。途中、サイパン島に寄港したのち、トカラ列島を抜けて東シナ海に入った。11月8日、クイーンフィッシュは八光丸(朝鮮郵船、1,948トン)と京城丸(中川汽船、1,051トン)を撃沈。翌9日夜には特設砲艦長寿山丸(朝鮮郵船、2,131トン)を撃沈した。この頃、太平洋潜水艦隊司令は満州からフィリピンへの増援船団の接近を警告し、「ルーパーズ」とももう1つのウルフパック「いたずらっ子 Urchins」が共同して攻撃を行うこととなった。11月11日には大瀬埼灯台付近でモマ07船団を発見し、輸送船美保丸(日本郵船、4,667トン)の船首に魚雷を命中させたが、美保丸は沈没せず佐世保に引き返していった。11月15日、クイーンフィッシュは宇久島沖から出てきたヒ81船団を発見。11時50分、陸軍特殊船あきつ丸(日本海運、9,186トン)に対して魚雷を発射。魚雷はあきつ丸の弾薬庫付近に命中し炎上、あきつ丸は3分で沈没した。この後、ヒ81船団はピクーダが陸軍特殊船摩耶山丸(三井船舶、9,433トン)、「いたずらっ子」のスペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) が空母神鷹をそれぞれ撃沈。他にもバーブがモマ07船団から鳴尾丸(山下汽船、4,823トン)を、「いたずらっ子」のピート (USS Peto, SS-265) が辰昭丸(辰馬汽船、2,746トン)を撃沈しており、極めつけはヒ81船団と同じルートを航行してきたミ27船団で、ヒ81船団攻撃後も同じ海域にいた「いたずらっ子」の猛攻により輸送船4隻を失った。一連の戦闘で、フィリピン防衛に増派されるはずだった日本陸軍の兵士の多くが失われた。 クイーンフィッシュはこれらの攻撃を通じて撃沈、大破した艦船を含む6つの目標に合計22本の魚雷を発射し、その半分が命中したと判断された。12月初頭、クイーンフィッシュは35日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。過去2度の哨戒の功で殊勲部隊章を受章した。
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