第2の哨戒、1944年10月 - 12月
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「スペードフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒、1944年10月 - 12月」の解説
10月23日、スペードフィッシュは2回目の哨戒でサンフィッシュ (USS Sunfish, SS-281)、ピート (USS Peto, SS-265) とウルフパックを構成し東シナ海および黄海方面に向かった。11月14日、スペードフィッシュは北緯31度04分 東経125度56分 / 北緯31.067度 東経125.933度 / 31.067; 125.933の上海東方海域で、2日前に北緯31度30分 東経125度57分 / 北緯31.500度 東経125.950度 / 31.500; 125.950の長崎南西海域でモマ07船団に加入中に被雷し漂流をしていた王洋丸(東洋汽船、5,396トン)を発見し、撃沈した。 3日後、スペードフィッシュは僚艦から輸送船団、フィリピンへの増援兵力である第23師団搭載の輸送船と、南方に向かうタンカーで構成されたヒ81船団に関する情報を得たので、これを攻撃することとした。ほどなくしてスペードフィッシュは九七式艦攻を発見。また、船団のものと思しき何本かのマストも発見した。スペードフィッシュは一旦ヒ81船団を通過させ、日没を待ってから浮上してヒ81船団に接近していった。この時、ヒ81船団は僚艦ピクーダ (USS Picuda, SS-382) の雷撃で陸軍特殊船摩耶山丸(三井船舶、9,433トン)を喪失していた。23時9分、スペードフィッシュは北緯32度59分 東経123度38分 / 北緯32.983度 東経123.633度 / 32.983; 123.633の済州島南西海域で、船団最後尾にいた空母神鷹に対して魚雷を6本発射。次いで急旋回してタンカーに向けて魚雷を4本発射した。神鷹への魚雷のうち4本が、神鷹の右舷後部に立て続けに命中。神鷹は爆発、船団を照らし出すほど激しく炎上して後部から沈没していった。タンカーへの損害は確認できなかった。スペードフィッシュは浮上したまま、さらにヒ81船団に接近して海防艦との撃ち合いを演じた後、避退した。間を置かず、スペードフィッシュはヒ81船団とほぼ同じ航路を通ってきたミ27船団を発見。護衛の第156号駆潜特務艇に対して魚雷を4本発射し、打撃を与えた。スペードフィッシュは他の護衛艦が接近したのをかわして、この海域を去った。 この後、スペードフィッシュは11月29日に朝鮮半島西岸で第六大星丸(日の丸汽船、3,925トン)を撃沈した。12月12日、スペードフィッシュは49日間の行動を終えてマジュロに帰投した。
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第2の哨戒 1944年10月 - 12月
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「ハードヘッド (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1944年10月 - 12月」の解説
10月24日、ハードヘッドは2回目の哨戒でグロウラー (USS Growler, SS-215)、ヘイク (USS Hake, SS-256) と共にウルフパックを構成して南シナ海およびフィリピン方面に向かった。スールー海を浮上して航行中に、漂流する救命筏を発見する。筏に乗っていたのは空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) の戦闘団指揮官であるバクティス中佐であった。彼はレイテ沖海戦で乗機を撃墜され、6日間漂流していたのであった。 11月7日夜、グロウラーからハードヘッドにレーダーで水上目標を探知した旨通知。翌11月8日1時33分、グロウラーはただちにハードヘッドとヘイクに迎撃できる位置を占めるよう指示を出した。ウルフパックは浮上状態のまま敵船団に接近。1時42分にはハードヘッドのレーダーも船団を探知し、追跡のため増速した。これはボルネオ島からマニラに向かっていたタンカー萬栄丸(日東汽船、5,226トン)と、護衛の海防艦千振、第19号海防艦、駆逐艦時雨であった。2時32分、グロウラーからハードヘッドへ「右側から攻撃すべきだ」と指令を出し、ハードヘッドはこれを受信。ハードヘッドはレーダーで船団とグロウラーの位置関係を確認した。2時51分、ハードヘッドは潜航して攻撃態勢に入った。2分後、ハードヘッドは爆発音を聴取して船団がコースを変えつつあるのを確認。続けて爆発音を3つ聴取し、これ以降はグロウラーとは音信不通となった。ハードヘッドは浮上と潜航を繰り返しながら船団前方に回りこんで絶好の攻撃位置につき、3時59分に艦尾発射管から魚雷を4本発射。魚雷は全て万栄丸に命中し、無音で深深度潜航状態に入った。直後、11発に及ぶ爆雷攻撃があり、電球数個が破壊された。深度を巧みに変えつつ爆雷攻撃をしのいだハードヘッドは、14時55分に浮上。夜になってヘイクも浮上し、ヘイクは16時間も制圧されたことを伝えてきた。しかし、そこにグロウラーの姿はなく、2隻はグロウラーのいたと思われる付近を航行したが、何も見つけることはできなかった。グロウラーの捜索は3日にわたって行われたが、徒労に終わった。 11月に入ると、ハードヘッドはスービック湾沖で第38任務部隊機に対する救助任務に従事。11月25日、ハードヘッドはコレヒドール島沖で給糧艦間宮と護衛艦4隻で構成されたサマ14A船団を発見し、護衛の第38号海防艦を撃沈。その後の反撃の爆雷攻撃を回避した。12月5日、ハードヘッドは45日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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