第2の哨戒 1945年1月 - 3月
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「アトゥル (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1945年1月 - 3月」の解説
1945年1月6日、アトゥルは2回目の哨戒でジャラオ、スペードフィッシュ、ポンポンとウルフパック "Underwood's Urchins" を組んで東シナ海および黄海方面に向かった。サイパン島への道中、ウルフパックは潜航訓練、防災訓練、レーダー追尾訓練を行った。サイパン島タナパグ港での潜水母艦フルトン (USS Fulton, AS-11) による整備ののち出航。しかし、ポンポンとジャラオが遅れたため、アトゥルとスペードフィッシュはバング (USS Bang, SS-385) 、デビルフィッシュ (USS Devilfish, SS-292) をウルフパックに加えた。アトゥルは途中、撃墜されたパイロットの捜索を行ったが、位置などの情報が不明で発見できず、捜索は1月17日に終わった。1月20日にポンポンが合流し、翌21日に哨戒海域に到着した。 アトゥルはサンパンと漁船は発見したものの、日本の船団には遭遇しなかった。1月24日午後、アトゥルは商船を発見し、追跡を開始した。しかし、吹雪によって視界を遮られたため、浮上してレーダーを使用し追撃を続けた。やがて目標をとらえ、北緯36度42分 東経123度43分 / 北緯36.700度 東経123.717度 / 36.700; 123.717の地点で潜航ののち魚雷を4本発射。うち2本が第一大満丸(大阪商船、6,888トン)に命中し、後部が沈んで航行不能となった。アトゥルは浮上して砲撃で第一大満丸を始末しようとした。第一大満丸でも船砲隊がアトゥルを発見し射撃、何発かが命中したかのように見えた。アトゥルは離れたところから魚雷を1本発射したが、これは命中しなかった。アトゥルは日没後にもう1本発射。第一大満丸の中央部に命中し、これが止めとなった。 アトゥルは引き続き、黄海北部で哨戒を行った。しかし、猛吹雪に悩まされたため、4日後に哨戒海域を黄海の南西部に変更した。1月27日、ポンポンが輸送船団との接触を報じ、スペードフィッシュとともに攻撃を行った。アトゥルも発見地点に向かったものの、距離が遠く接触できなかったものの、何回かの爆発は確認した。翌日、アトゥルは前日の攻撃から逃れてきた輸送船を発見し、攻撃しようと長く追跡した。しかし、護衛艦と浅瀬の存在で最終的には攻撃は出来なかった。 その後、アトゥルは機雷の処分という新しい任務が与えられた。残りの哨戒期間でアトゥルは29個の機雷を処分し、そのうちの23個は砲火で始末したものであり、その他は爆発せず沈んでいった。アトゥルは2月22日まで哨戒を行い、サイパン島に寄港してフルトンに横付けして休息をとったのち、2月28日に出航した。3月7日、アトゥルは59日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。潜水母艦ペリアス (USS Pelias, AS-14) による整備を受け、複数回の演習を終えた。
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