第2の哨戒 1945年1月 - 3月とは? わかりやすく解説

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第2の哨戒 1945年1月 - 3月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 08:23 UTC 版)

アトゥル (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1945年1月 - 3月」の解説

1945年1月6日、アトゥルは2回目の哨戒でジャラオ、スペードフィッシュポンポンウルフパック "Underwood's Urchins" を組んで東シナ海および黄海方面向かったサイパン島への道中ウルフパック潜航訓練防災訓練レーダー追尾訓練行ったサイパン島タナパグ港での潜水母艦フルトン (USS Fulton, AS-11) による整備ののち出航。しかし、ポンポンとジャラオが遅れたため、アトゥルとスペードフィッシュバング (USS Bang, SS-385) 、デビルフィッシュ (USS Devilfish, SS-292) をウルフパック加えた。アトゥルは途中撃墜されパイロット捜索行ったが、位置などの情報不明発見できず、捜索1月17日終わった1月20日ポンポン合流し、翌21日哨戒海域到着した。 アトゥルはサンパン漁船発見したものの、日本の船団には遭遇しなかった。1月24日午後、アトゥルは商船発見し追跡開始した。しかし、吹雪によって視界遮られたため、浮上してレーダー使用し追撃続けた。やがて目標をとらえ、北緯3642東経12343分 / 北緯36.700度 東経123.717度 / 36.700; 123.717の地点潜航ののち魚雷を4本発射。うち2本が第一大満丸(大阪商船、6,888トン)に命中し後部沈んで航行不能となった。アトゥルは浮上して砲撃第一大満丸を始末しようとした第一大満丸でも船砲隊がアトゥルを発見し射撃、何発かが命中したかのように見えた。アトゥルは離れたころから魚雷を1本発射したが、これは命中しなかった。アトゥルは日没後にもう1本発射第一大満丸の中央部命中し、これが止めとなった。 アトゥルは引き続き黄海北部哨戒行った。しかし、猛吹雪悩まされたため、4日後に哨戒海域黄海南西部変更した1月27日ポンポン輸送船団との接触報じスペードフィッシュとともに攻撃行った。アトゥルも発見地点に向かったものの、距離が遠く接触できなかったものの、何回かの爆発確認した翌日、アトゥルは前日攻撃から逃れてきた輸送船発見し攻撃しよう長く追跡した。しかし、護衛艦浅瀬存在最終的に攻撃出来なかった。 その後、アトゥルは機雷処分という新し任務与えられた。残り哨戒期間でアトゥルは29個の機雷処分しそのうち23個は砲火始末したものであり、その他は爆発せず沈んでいった。アトゥルは2月22日まで哨戒行いサイパン島寄港してフルトン横付けして休息をとったのち、2月28日出航した3月7日、アトゥルは59日間行動終えてミッドウェー島帰投潜水母艦ペリアス (USS Pelias, AS-14) による整備を受け、複数回の演習終えた

※この「第2の哨戒 1945年1月 - 3月」の解説は、「アトゥル (潜水艦)」の解説の一部です。
「第2の哨戒 1945年1月 - 3月」を含む「アトゥル (潜水艦)」の記事については、「アトゥル (潜水艦)」の概要を参照ください。

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