第2の哨戒 1945年2月 - 4月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/12 14:24 UTC 版)
「シーオウル (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1945年2月 - 4月」の解説
2月11日、シーオウルは2回目の哨戒でピラーニャ、パファー (USS Puffer, SS-268) とウルフパックを構成しルソン海峡および南シナ海方面に向かった。哨戒海域では3月25日から26日にかけて、プラタス島の通信施設に対して2度にわり艦砲射撃を行った。帰途で日本海軍の潜水艦に関する情報がもたらされ、それに基づいてウェーク島沖に急行した。4月18日、シーオウルは北緯19度17分 東経166度35分 / 北緯19.283度 東経166.583度 / 19.283; 166.583の地点でレーダーで目標を探知。後をつけたものの、目標はウェーク島の環礁内に入った。シーオウルは目標に向けて魚雷を発射。やがて3つの爆発が起こって「呂三十五型潜水艦を撃沈」と判断された。しかし、実際には魚雷は岸壁に命中しただけであり、そばで揚陸作業をしていた伊372には命中しなかった。4月21日、シーオウルは70日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。艦長がウォーレン・C・ホール・ジュニア(アナポリス1937年組)に代わった。
※この「第2の哨戒 1945年2月 - 4月」の解説は、「シーオウル (潜水艦)」の解説の一部です。
「第2の哨戒 1945年2月 - 4月」を含む「シーオウル (潜水艦)」の記事については、「シーオウル (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第2の哨戒 1945年2月 - 4月のページへのリンク