第2の哨戒 1945年4月 - 6月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/08 06:19 UTC 版)
「パイパー (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1945年4月 - 6月」の解説
4月26日、パイパーは2回目の哨戒でオホーツク海に向かった。5月3日にオホーツク海の哨区に到着し、5月14日から5月25日まで同海域で哨戒を実施した。この哨戒で見た船舶のほとんどが様々なソ連船であったが、5月27日、パイパーは濃霧の中2隻の小型商船と思われる目標を探知し攻撃を行い、その攻撃は2,000トンないし4,000トン級の貨物船を撃沈したと判断された。しかし、JANAC(英語版)の戦後の調査では削除された。護衛艦が爆雷攻撃を行ったものの、その反撃は大したことはなかった。パイパーは6月4日に哨区を徹した。6月13日、パイパーは47日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がエドワード・L・ビーチ(英語版)(アナポリス1939年組)に代わった。ビーチはトリガー (USS Trigger, SS-237)、ティランテ (USS Tirante, SS-420) 勤務を経てパイパーに赴任し、戦後には原子力潜水艦トライトン (USS Triton, SSRN-586) 艦長となる一方で、『深く静かに潜航せよ』など作家としても有名になる人物である。
※この「第2の哨戒 1945年4月 - 6月」の解説は、「パイパー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第2の哨戒 1945年4月 - 6月」を含む「パイパー (潜水艦)」の記事については、「パイパー (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第2の哨戒 1945年4月 - 6月のページへのリンク