第2の哨戒 1945年4月 - 5月・ラガートの喪失とは? わかりやすく解説

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第2の哨戒 1945年4月 - 5月・ラガートの喪失

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/14 05:03 UTC 版)

ラガート (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1945年4月 - 5月・ラガートの喪失」の解説

4月12日、ラガートは2回目の哨戒南シナ海およびタイランド湾方面向かった4月27日、ラガートはバヤ (USS Baya, SS-318) と合流し、ともにタイランド湾外側水域急いだ5月2日バヤPB4Y-2 プライバティアからの報告でラガートとカイマン (USS Caiman, SS-323) の接近知った2055分にラガートはバヤ交信。その少し後の2155分、バヤレーダーがおよそ14キロ先にある4つ目標探知した2210分にバヤから目標に関する報告受けたラガートは、バヤとともに9ノット速度追跡次第に、目標は1隻の大型船、1隻の艦型不詳艦船、2隻の護衛艦だろうと判断された。バヤ12ノット速力船団右側から追跡し、ラガートは反対側を進んだレーダーには新たな2つ目標探知され、それは反対側を行くラガートと、3つのマスト持ったジャンク判断された。追跡中、バヤ船団中に白鷹敷設艦がいることを確認。しかし、あと一歩と言うところでラガートが砲撃を受け撃退されバヤ同様に追い払われた。 5月3日朝、ラガートとバヤ会合し船団襲撃プラン練ったその結果、「ラガートが14時から潜航し船団接近しバヤ24キロメートルの距離を保って船団追跡する首尾よくいかなければ2130分までに攻撃する」という戦法採用された。そして、同日15時バヤはラガートに接触報告送信した。しかし、もうすぐ5月4日になる時までラガートが攻撃しないように見えたので、バヤは単艦で船団攻撃することとした。しかし、この攻撃護衛艦阻止され成功しなかった。しかも、その頃になるとラガートからの音信ぱったり止まっていた。5月3日朝に会合したのを最後に、ラガートは行方不明となったアメリカ側調査により日本側の記録から、5月3日から4日にかけて、船団の2隻の護衛艦のうち1隻だったであろう敷設艦初鷹北緯0755東経10200分 / 北緯7.917度 東経102.000度 / 7.917; 102.000の地点行った対潜攻撃がラガートを仕留めた攻撃であろう考えられた。ラガートは1945年8月10日喪失宣告され9月1日除籍された。 ラガートは第二次世界大戦戦功で1個の従軍星章受章した

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