第2の哨戒 1944年9月 - 11月
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「ハンマーヘッド (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1944年9月 - 11月」の解説
9月9日、ハンマーヘッドは2回目の哨戒で南シナ海に向かった。10月1日夜、ハンマーヘッドは北緯06度28分 東経116度14分 / 北緯6.467度 東経116.233度 / 6.467; 116.233のボルネオ島北岸海域でミ18船団を発見。追跡の上、日付が10月2日になるならないのころに攻撃。魚雷を計8本発射し、2つの目標に命中するのを確認した。この攻撃で2隻の輸送船、日和丸(日本郵船、5,320トン)と日金丸(日本郵船、5,320トン)は2分から3分で沈没し、輸送船国星丸(大阪商船、5,494トン)も間もなく沈没したとする。10月20日未明には、北緯04度45分 東経113度30分 / 北緯4.750度 東経113.500度 / 4.750; 113.500の地点でサマ13船団を探知。魚雷を6本発射して2つの激しい爆発を観測し、4本目と5本目の魚雷が命中したのであろうと判断される。続いて魚雷を4本発射し、こちらも2つの爆発を確認した。さらに魚雷を4本発射して2つの命中があったとし、これですべての魚雷を撃ち尽くした。ハンマーヘッドの一連の攻撃で、2隻の輸送船、羽後丸(大阪商船、3,684トン)と旺洋丸(東洋汽船、5,458トン)を撃沈した。なお、ハンマーヘッドは10月21日までブルネイ沖で哨戒していたが、栗田健男中将率いる第二遊撃部隊のブルネイ湾到着に気付いた様子はない。10月28日、ハンマーヘッドは危うく味方を撃つところであった。この日の未明、南緯08度39分 東経115度50分 / 南緯8.650度 東経115.833度 / -8.650; 115.833の地点でハンマーヘッドのレーダーは1つの目標を探知するが、やがて目標の姿が見え始め、哨戒艇か「日本の潜水艦」と推定されたため砲撃を開始。ハンマーヘッドは20発ほど撃って200ヤードまで接近したところ、相手は敵ではなく味方のグロウラー (USS Growler, SS-215) であることがわかり、砲撃を止めた。11月2日、ハンマーヘッドは54日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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第2の哨戒 1944年9月 - 11月
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「クローカー (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1944年9月 - 11月」の解説
9月23日、クローカーは2回目の哨戒でエスカラー (USS Escolar, SS-294)、パーチ (USS Perch, SS-313) とウルフパック "Millican's Marauders"(ミリカンの略奪者)を構成し、東シナ海および黄海に向かった。10月9日夜、クローカーは北緯32度20分 東経128度58分 / 北緯32.333度 東経128.967度 / 32.333; 128.967の地点でレーダーで目標を探知し、目標に接近した上で魚雷を4本発射。魚雷は4本全てが輸送船神喜丸(栗林商船、2,211トン)に命中し、間隔の短い爆発が続いたのち沈んでいった。10月12日未明には北緯32度11分 東経129度41分 / 北緯32.183度 東経129.683度 / 32.183; 129.683の地点で掃海艇と思しき艦艇を発見し、魚雷を3本発射して全て命中させ、目標を撃沈したと判断された。10月17日朝、クローカーは北緯33度05分 東経128度27分 / 北緯33.083度 東経128.450度 / 33.083; 128.450の地点でサンパンを発見し、40ミリ機関砲と20ミリ機銃の射撃で撃ち沈めた。10月23日未明にも北緯35度29分 東経126度05分 / 北緯35.483度 東経126.083度 / 35.483; 126.083の朝鮮半島南西岸海域で輸送船白蘭丸(白洋汽船、887トン)を発見し、魚雷を4本発射して1本が命中し、白蘭丸は沈没していった。間もなく3隻のスクーナーが現れ、40ミリ機関砲と20ミリ機銃の射撃で、30トン級スクーナーを破壊した。10月24日明け方、クローカーは北緯33度00分 東経125度49分 / 北緯33.000度 東経125.817度 / 33.000; 125.817の済州島西岸北方沖で、レーダーにより輸送船団と思しき複数の目標を探知する。モマ06船団に接近したクローカーは、4時すぎになって大型輸送船に対して魚雷を3本発射し、続いて別の大型輸送船に対して魚雷を2本、中型輸送船に対して艦尾発射管から魚雷を4本発射する。魚雷は1本が輸送船月山丸(日本海汽船、4,515トン)の船尾に命中し大破させ、月山丸は済州島に曳航されていった。クローカーはモマ06船団を追跡し続け、2隻の輸送船と1隻の護衛艦に向けて魚雷を4本発射。魚雷は輸送船御影丸(武庫汽船、2,741トン)に1本が命中し撃沈した。クローカーはモマ06船団への攻撃で魚雷を使い果たしたため帰投することとし、11月4日から5日にかけてミッドウェー島に寄港。11月10日、クローカーは48日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がウィリアム・B・トーマス少佐(アナポリス1936年組)に代わった。
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