第2の哨戒 1944年3月 - 5月とは? わかりやすく解説

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第2の哨戒 1944年3月 - 5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:17 UTC 版)

レッドフィン (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1944年3月 - 5月」の解説

3月19日、レッドフィンは2回目の哨戒セレベス海方面向かった4月8日、レッドフィンは「那智巡洋艦」、「名取軽巡洋艦」および「吹雪型駆逐艦からなる小艦隊発見するが、目標までおよそ7キロ離れていたので攻撃はできなかった。3日後の4月11日午後には、北緯0645分 東経12241分 / 北緯6.750度 東経122.683度 / 6.750; 122.683のミンダナオ島サンボアンガ灯台東方27海里地点で、ダバオに向かう特設運送艦聖川丸川崎汽船、6,882トン)を出迎えるために、同じくダバオ向かっていた駆逐艦秋雲発見1817分、秋雲対し魚雷を4本発射し、2本が命中した秋雲は左に45度倒れ40度の角度をつけながら沈没していった。翌4月12日、レッドフィンは北緯0512東経12357分 / 北緯5.200度 東経123.950度 / 5.200; 123.950の地点で「球磨型軽巡洋艦」と駆逐艦遠方発見し徐々に差を詰めていった末に魚雷を4本発射したが、当たらなかった。4月15日午後には、北緯0641東経12340分 / 北緯6.683度 東経123.667度 / 6.683; 123.667のミンダナオ島南西端でハルマヘラ島からマニラ向かっていたM17船団発見し激しい雨遭いながらも接近して魚雷を6本発射。うち1本が陸軍輸送船神祐丸(栗林商船、4,621トン)に命中したが、沈没免れた。レッドフィンはM17船団追跡し続け、翌4月16日未明北緯0704東経12327分 / 北緯7.067度 東経123.450度 / 7.067; 123.450の地点再度魚雷を6本発射する魚雷陸軍輸送船山形丸(日本郵船、3,807トン)に1本命中し山形丸は北緯0651東経12337分 / 北緯6.850度 東経123.617度 / 6.850; 123.617の地点沈没した4月22日から23日にかけては、ボルネオ島デントヘヴン付近にイギリス諜報員上陸させたが、日本軍射撃受けて数名諜報員すぐさまレッドフィンに引き返してきた。しかし、残り6月9日ハーダー (USS Harder, SS-257) が迎えに来るまで取り残されたままとなった5月1日、レッドフィンは41日間行動終えてフリーマントル帰投した。

※この「第2の哨戒 1944年3月 - 5月」の解説は、「レッドフィン (潜水艦)」の解説の一部です。
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