第2の哨戒 1944年3月 - 5月
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「レッドフィン (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1944年3月 - 5月」の解説
3月19日、レッドフィンは2回目の哨戒でセレベス海方面に向かった。4月8日、レッドフィンは「那智型巡洋艦」、「名取型軽巡洋艦」および「吹雪型駆逐艦」からなる小艦隊を発見するが、目標までおよそ7キロも離れていたので攻撃はできなかった。3日後の4月11日午後には、北緯06度45分 東経122度41分 / 北緯6.750度 東経122.683度 / 6.750; 122.683のミンダナオ島サンボアンガ灯台東方27海里地点で、ダバオに向かう特設運送艦聖川丸(川崎汽船、6,882トン)を出迎えるために、同じくダバオに向かっていた駆逐艦秋雲を発見。18時17分、秋雲に対し魚雷を4本発射し、2本が命中した秋雲は左に45度倒れ、40度の角度をつけながら沈没していった。翌4月12日、レッドフィンは北緯05度12分 東経123度57分 / 北緯5.200度 東経123.950度 / 5.200; 123.950の地点で「球磨型軽巡洋艦」と駆逐艦を遠方に発見し、徐々に差を詰めていった末に魚雷を4本発射したが、当たらなかった。4月15日午後には、北緯06度41分 東経123度40分 / 北緯6.683度 東経123.667度 / 6.683; 123.667のミンダナオ島南西端でハルマヘラ島からマニラに向かっていたM17船団を発見し、激しい雨に遭いながらも接近して魚雷を6本発射。うち1本が陸軍輸送船神祐丸(栗林商船、4,621トン)に命中したが、沈没は免れた。レッドフィンはM17船団を追跡し続け、翌4月16日未明に北緯07度04分 東経123度27分 / 北緯7.067度 東経123.450度 / 7.067; 123.450の地点で再度魚雷を6本発射する。魚雷は陸軍輸送船山形丸(日本郵船、3,807トン)に1本命中し、山形丸は北緯06度51分 東経123度37分 / 北緯6.850度 東経123.617度 / 6.850; 123.617の地点で沈没した。4月22日から23日にかけては、ボルネオ島デントヘヴン付近にイギリスの諜報員を上陸させたが、日本軍の射撃を受けて数名の諜報員はすぐさまレッドフィンに引き返してきた。しかし、残りは6月9日にハーダー (USS Harder, SS-257) が迎えに来るまで取り残されたままとなった。5月1日、レッドフィンは41日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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