第2の哨戒 1944年7月 - 9月
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「ギターロ (ガトー級潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1944年7月 - 9月」の解説
7月21日、ギターロは2回目の哨戒で南シナ海に向かった。8月7日夜、ギターロは北緯14度50分 東経119度58分 / 北緯14.833度 東経119.967度 / 14.833; 119.967のバターン半島沖30海里の地点で、ミ13船団から分離した掃討隊を発見した。「時雨型駆逐艦」と「吹雪型駆逐艦」に対して魚雷を3本ずつ計6本発射し、「吹雪型駆逐艦」への3つの命中を確認した。この攻撃で、船団後方を警戒航行していた海防艦草垣を撃沈したが、船団本体はこの間にマニラ湾に入っていった。翌8月8日、ギターロは北緯15度16分 東経119度57分 / 北緯15.267度 東経119.950度 / 15.267; 119.950のルソン島沿岸で700トン級哨戒艇を砲撃で沈めたあと、レイトン (USS Raton, SS-270) との邂逅点であるルソン島ボリナオ岬に向かった。合流後、8月10日には北緯16度17分 東経119度46分 / 北緯16.283度 東経119.767度 / 16.283; 119.767の地点を航行するマタ26船団を発見し、魚雷を4本発射して「香取型巡洋艦」と4,000トン級輸送船の撃破を報じる。この攻撃で、タンカー進栄丸(日東汽船、5,135トン)に魚雷が命中して沈没した。ギターロは爆雷攻撃を避けるため潜航したあと、昼過ぎに「吹雪型駆逐艦」に対して魚雷を4本発射し、2本が命中して目標は沈没したと判定された。爆雷攻撃で外殻にかなりの損害を受けたものの深刻な被害はなく、浮上後、ギターロはレイトンと共にカラビテ岬近海に向かった。8月21日朝、ギターロは遠方で爆雷が炸裂する音を聴取した。レイ (USS Ray, SS-271) がミンドロ島パルアン湾から出航してきたミ12船団を攻撃したことを示すものであり、ほどなくミ12船団本体を発見した。ギターロは北緯13度21分 東経120度18分 / 北緯13.350度 東経120.300度 / 13.350; 120.300の地点で2隻のタンカーを目標に選んだが攻撃の機会を逸したものの、すぐに目標を切り替えて魚雷を4本発射し、うち2本が輸送船宇賀丸(松岡汽船、4,433トン)に命中して宇賀丸は船体が3つに割れて轟沈した。激しい爆雷攻撃が起こったが、ギターロは裏をかくが如く爆雷攻撃の中をすり抜けて戦場を去った。8月27日午後、ギターロは北緯12度47分 東経120度06分 / 北緯12.783度 東経120.100度 / 12.783; 120.100のミンドロ海峡で3隻の小型タンカーを発見し、まず魚雷を2本発射したが命中せず、浮上砲戦で片付けることにした。浮上砲戦の末、タンカー第二十七南進丸(南方油槽船、834トン)を撃沈し、第三南進丸(南方油槽船、834トン)と第二十五南進丸(南方油槽船、834トン)に損傷を与えた。9月8日、ギターロは48日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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