第2の哨戒 1945年4月 - 5月とは? わかりやすく解説

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第2の哨戒 1945年4月 - 5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/20 09:51 UTC 版)

スプリンガー (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1945年4月 - 5月」の解説

4月20日スプリンガー2回目の哨戒レイトン (USS Raton, SS-270)、トレパン (USS Trepang, SS-412) とウルフパック構成し東シナ海および黄海方面向かった4月28日スプリンガー以下のウルフパック福江島富江港沖に出現5時15分スプリンガー富江港に停泊されている2隻の船を発見。しかし、5,900メートルより近くには接近できなかった。それでも果敢に雷撃し、6時30分ごろには14回もの爆発音聴取した。この攻撃トレパンが第146輸送艦撃沈したスプリンガー港外引き返してくる第17号駆潜艇発見し8時30分魚雷3本発射して命中させ、第17号駆潜艇停止した乗組員総員退去する光景観測したスプリンガーは、さらにもう1本の魚雷発射し、1番砲塔の下に命中させ撃沈した一連の港湾攻撃成功しスプリンガーらのウルフパック引き揚げ東シナ海西進し新し狩場向かった4月30日スプリンガートレパン3つの目標探知。この目標上海向かっていたモシ05船団美保丸(日本郵船、4,667トン)とその護衛艦であったスプリンガー荒天のため浮上して攻撃することに決め正午ごろに絶好攻撃態勢入った。ところが、突如霧中から射撃され、しかも護衛艦思しき艦艇がこちらに向かってくる気配だったため、スプリンガー潜航し雷撃して様子うかがった直後27発の爆雷投下されスプリンガーの艦体は揺さぶられた。バルブなどが緩んで不具合生じたが、それ以上被害はなく、浮上することに成功した。その直後トレパンが隙を突いて美保丸を撃沈し、その爆発音聴取した5月2日夜半スプリンガー北緯3435東経12404分 / 北緯34.583度 東経124.067度 / 34.583; 124.067の地点で2隻の艦艇探知2日前に攻撃したモシ05船団残党であったスプリンガー魚雷4本を発射し海防艦男鹿命中男鹿瞬時にして轟沈した。翌5月3日には、北緯3438東経12415分 / 北緯34.633度 東経124.250度 / 34.633; 124.250の地点で第25海防艦撃沈した5月4日スプリンガー味方パイロット救助任務のため東に向かった味方パイロットを見つけることは出来なかったが、5月14日には日本戦闘機味方空母艦載機4機との空中戦目撃し撃墜され海上墜落した日本戦闘機戦死したパイロット拾い上げたパイロット死体から何かの書類を見つけ取り出した後、パイロット亡骸海中戻された。5月18日スプリンガー28日間の行動終えてアプラ港帰投プロテウスによる整備受けた艦長ジョン・Fバウアーアナポリス1938年組)に代わった。

※この「第2の哨戒 1945年4月 - 5月」の解説は、「スプリンガー (潜水艦)」の解説の一部です。
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