第2の哨戒 1945年4月 - 5月
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「スプリンガー (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1945年4月 - 5月」の解説
4月20日、スプリンガーは2回目の哨戒でレイトン (USS Raton, SS-270)、トレパン (USS Trepang, SS-412) とウルフパックを構成し東シナ海および黄海方面に向かった。4月28日、スプリンガー以下のウルフパックは福江島富江港沖に出現。5時15分、スプリンガーは富江港に停泊されている2隻の船を発見。しかし、5,900メートルより近くには接近できなかった。それでも果敢に雷撃し、6時30分ごろには14回もの爆発音を聴取した。この攻撃でトレパンが第146号輸送艦を撃沈した。スプリンガーは港外で引き返してくる第17号駆潜艇を発見し、8時30分に魚雷3本を発射して命中させ、第17号駆潜艇は停止した。乗組員が総員退去する光景を観測したスプリンガーは、さらにもう1本の魚雷を発射し、1番砲塔の下に命中させ撃沈した。一連の港湾攻撃は成功し、スプリンガーらのウルフパックは引き揚げ、東シナ海を西進して新しい狩場に向かった。4月30日、スプリンガーとトレパンは3つの目標を探知。この目標は上海に向かっていたモシ05船団の美保丸(日本郵船、4,667トン)とその護衛艦であった。スプリンガーは霧と荒天のため浮上して攻撃することに決め、正午ごろに絶好の攻撃態勢に入った。ところが、突如霧中から射撃され、しかも護衛艦と思しき艦艇がこちらに向かってくる気配だったため、スプリンガーは潜航し雷撃して様子をうかがった。直後、27発の爆雷が投下され、スプリンガーの艦体は揺さぶられた。バルブなどが緩んで不具合が生じたが、それ以上の被害はなく、浮上することに成功した。その直後、トレパンが隙を突いて美保丸を撃沈し、その爆発音を聴取した。5月2日夜半、スプリンガーは北緯34度35分 東経124度04分 / 北緯34.583度 東経124.067度 / 34.583; 124.067の地点で2隻の艦艇を探知。2日前に攻撃したモシ05船団の残党であった。スプリンガーは魚雷4本を発射し、海防艦男鹿に命中。男鹿は瞬時にして轟沈した。翌5月3日には、北緯34度38分 東経124度15分 / 北緯34.633度 東経124.250度 / 34.633; 124.250の地点で第25号海防艦を撃沈した。5月4日、スプリンガーは味方パイロット救助任務のため東に向かった。味方パイロットを見つけることは出来なかったが、5月14日には日本の戦闘機と味方の空母艦載機4機との空中戦を目撃し、撃墜され海上に墜落した日本の戦闘機の戦死したパイロットを拾い上げた。パイロットの死体から何かの書類を見つけ取り出した後、パイロットの亡骸は海中に戻された。5月18日、スプリンガーは28日間の行動を終えてアプラ港に帰投。プロテウスによる整備を受けた。艦長がジョン・F・バウアー(アナポリス1938年組)に代わった。
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