第2の哨戒 1942年2月 - 3月
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「ソーリー (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1942年2月 - 3月」の解説
2月9日、ソーリーは2回目の哨戒でジャワ海、セレベス島方面に向かった。この日、日本軍はマカッサルを占領。ソーリーはバンダ海に針路を向けた。2月13日、ソーリーはセレベス沿岸のカバエナ島(英語版)とサラヤル島間の海域に到着し、そこからロンボク海峡にいたる海域を南西方向に3日間哨戒。2月19日と20日、日本軍がバリ島に上陸し、ソーリーはその情報に基づいてロンボク海峡に急いだ。ほどなく、この哨戒での最初の敵艦を発見。ソーリーは潜航し、以後18時間もの間爆雷攻撃を回避し続けた。2月24日には輸送船団を発見したが、攻撃に失敗した。ソーリーは北向きに移動。2月26日から3月8日まではカンゲアン島(英語版)近海で哨戒したが、この頃までには日本軍はスラバヤ、バタヴィアなど主要拠点を押さえてジャワ島全土の占領が目前に迫っていた。3月9日、ソーリーはオーストラリアに向かうよう指示された。ソーリーのマーク14型魚雷は、この哨戒では敵に損害を与えなかった。3月17日、ソーリーは38日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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