第2の哨戒 1941年12月 - 1942年3月とは? わかりやすく解説

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第2の哨戒 1941年12月 - 1942年3月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:18 UTC 版)

スタージョン (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1941年12月 - 1942年3月」の解説

12月28日スタージョン2回目の哨戒ボルネオ島方面向かったタラカン島経由しマカッサル海峡方面哨戒1942年1月17日スタージョンはスブツ島南西タンカー観測。これに攻撃を行うが3本魚雷は全弾が外れタンカー海域脱出した1月22日の夜、スタージョン僚艦ピカーレル (USS Pickerel, SS-177) から大型船団がマカッサル海峡航行しているとの警告を受ける。数分後にソナーが船の信号観測したスタージョン潜航し大型船に対して4本の魚雷発射2つ爆発音観測したその後2隻の駆逐艦による2時間半の爆雷攻撃受けたものの、損傷を負うことはなかった。1月26日スタージョンバリクパパン沖で輸送船および4隻の駆逐艦観測前部魚雷発射管から放射状魚雷発射し輸送船が大爆発起こしスクリュー停止した戦後記録では沈没したという事実は発見できなかったが、輸送船損傷したものと考えられた。3日後、スタージョンタンカーに対して2つ命中弾を与えた2月8日の朝、スタージョンマカッサルに向かう日本艦隊航路上にいたことを確認した潜航して数隻の駆逐艦および巡洋艦回避、それらは頭上通過したが、敵船団の動きアジア艦隊潜水艦部隊司令に対して報告することは出来なかった。スタージョン2日後哨戒海域離れオランダ領東インドジャワに向かうよう指令受けた2月13日スタージョン46日間行動終えてスラバヤ帰投。しかし、日本軍部隊接近によりスタージョンはチラチャップ(英語版)へ移動したアジア艦隊潜水艦部隊スタッフ乗艦させると、スタージョンスティングレイ (USS Stingray, SS-186) と共に潜水母艦ホーランド (USS Holland, AS-3) および駆逐艦母艦ブラック・ホーク (USS Black Hawk, AD-9) の護衛として2月20日オーストラリアフリーマントル向けて出航3月3日到着し3月15日まで整備行った

※この「第2の哨戒 1941年12月 - 1942年3月」の解説は、「スタージョン (潜水艦)」の解説の一部です。
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