第2の哨戒 1941年12月 - 1942年3月
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「スタージョン (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1941年12月 - 1942年3月」の解説
12月28日、スタージョンは2回目の哨戒でボルネオ島方面に向かった。タラカン島を経由し、マカッサル海峡方面で哨戒。1942年1月17日、スタージョンはスブツ島南西でタンカーを観測。これに攻撃を行うが3本の魚雷は全弾が外れ、タンカーは海域を脱出した。1月22日の夜、スタージョンは僚艦ピカーレル (USS Pickerel, SS-177) から大型船団がマカッサル海峡を航行しているとの警告を受ける。数分後にソナーが船の信号を観測した。スタージョンは潜航し大型船に対して4本の魚雷を発射、2つの爆発音を観測した。その後2隻の駆逐艦による2時間半の爆雷攻撃を受けたものの、損傷を負うことはなかった。1月26日、スタージョンはバリクパパン沖で輸送船および4隻の駆逐艦を観測。前部魚雷発射管から放射状に魚雷を発射し、輸送船が大爆発を起こしスクリューが停止した。戦後の記録では沈没したという事実は発見できなかったが、輸送船は損傷したものと考えられた。3日後、スタージョンはタンカーに対して2つの命中弾を与えた。2月8日の朝、スタージョンはマカッサルに向かう日本艦隊の航路上にいたことを確認した。潜航して数隻の駆逐艦および巡洋艦を回避、それらは頭上を通過したが、敵船団の動きをアジア艦隊潜水艦部隊司令に対して報告することは出来なかった。スタージョンは2日後に哨戒海域を離れ、オランダ領東インドのジャワに向かうよう指令を受けた。2月13日、スタージョンは46日間の行動を終えてスラバヤに帰投。しかし、日本軍部隊の接近によりスタージョンはチラチャップ(英語版)へ移動した。アジア艦隊潜水艦部隊のスタッフを乗艦させると、スタージョンはスティングレイ (USS Stingray, SS-186) と共に潜水母艦ホーランド (USS Holland, AS-3) および駆逐艦母艦ブラック・ホーク (USS Black Hawk, AD-9) の護衛として2月20日にオーストラリアのフリーマントルへ向けて出航。3月3日に到着し、3月15日まで整備を行った。
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