第2の哨戒 1942年3月 - 4月
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「シードラゴン (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1942年3月 - 4月」の解説
3月18日、シードラゴンは2回目の哨戒でコレヒドール島に向かった。途中、コレヒドール島向けの燃料と食糧を積み込むためセブに寄港。魚雷10本と3インチ砲弾250発、30トンの食糧を積み込みセブを離れたシードラゴンは、4月8日20時53分にコレヒドール島に到着。出迎えた救難艦ピジョンに横付けし7トンの食糧を降ろし、代わりに日本語の専門家である、「オネスト・ジョン」とあだ名されたルーファス・テイラー以下の解析班のメンバー23名を乗せた。作業終了後、シードラゴンは21時29分に離岸し、通常の哨戒活動に戻った。 シードラゴンはスービック湾口で哨戒。4月11日、シードラゴンは複数の目標を発見し、17時20分に、その中にいた1隻の駆逐艦に対して3本の魚雷を発射。しかし、最初に発射した魚雷が29秒後に早期爆発を起こし、これを見た別の駆逐艦が魚雷を避けた後、爆雷攻撃を行ってきた。シードラゴンは水深61メートルで攻撃が終わるのを待った。爆雷は近くないところで爆発したものの、駆逐艦がシードラゴンの潜航場所を予想して待機していた。シードラゴンは音静かにこの海域を去った。4月12日に針路を南に向け、4月20日にロンボク海峡を通過した。4月26日、シードラゴンは39日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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