祖先と幕末
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田中新兵衛役を演じた三島由紀夫の高祖父は徳川幕府の最後の幕臣の1人永井尚志で、大政奉還や戊辰戦争などの重要な局面で活躍した人物である。一橋慶喜を推す一橋派を支持したため安政の大獄で免職・隠居の身となっていた永井尚志は、井伊直弼の横死により文久2年(1862年)に京都町奉行に復職したが、その時に姉小路公知暗殺の尋問していた田中新兵衛に切腹されてしまい、不注意の咎で閉門を命ぜられたこともあった。 三島が『人斬り』撮影中、親しい知人の林房雄に宛てた書簡(1969年6月13日付)の中にも、その奇縁のことが触れられている。 只今京都で勝新太郎と裕次郎と仲代達矢と四人共演の「人斬り」といふ映画に、田中新兵衛の役で出ておりますが、この役の交渉をうけてから面白くなつて、この時代のものを大分よみました。よめばよむほど、現代との類似が目につき、こつちも多少、志士気取りになつて来ます。明後日は大殺陣の撮影です。新兵衛が腹を切つたおかげで、不注意の咎で閉門を命ぜられた永井主水正の曾々孫が百年後、その新兵衛をやるのですから、先祖は墓の下で、目を白黒させてゐることでせう。 — 三島由紀夫「林房雄宛ての書簡」(昭和44年6月13日付) 1960年(昭和35年)7月1日に行われた「永井尚志70年忌」の大法要にも出席し、高祖父を尊敬していた三島だが。『人斬り』の出演が決まる前年の1968年(昭和43年)1月にも、「百年目の黒船」と言われた原子力空母エンタープライズの佐世保寄港反対デモの話題に触れつつ高祖父と自身を重ね、「日本はいつもアメリカの船のために国中大さわぎし、殺し合ひ、政治変革をやる国民のやうです。今度は私も、曾々祖父永井玄番頭と同じ反革命の立場ですが、曾々祖父のやうに無事に隠居はできますまい」とドナルド・キーンに語っていた。 また三島の祖母・なつの母親の松平高は宍戸藩主松平頼位の娘で、松平頼徳の妹であった。なつの伯父にあたる9代藩主松平頼徳は水戸天狗党に同情した罪により、幕府から切腹を命じられて非業の死を遂げている。 この水戸藩の思想「水戸学」という尊王論・攘夷論は、幕末の尊皇攘夷の志士たちの中心的思想となっていたが、三島は祖母から、「お前は水戸の血が流れているから、人はすぐ皮肉屋だとか偏屈だとかいわれるだろうが、気にしないほうがいいよ。これはもう宿命で仕方ない」と言われ、水戸っ子の自覚を持っていた。 『人斬り』の映画を撮影していた頃、世間では安保反対の全学連や全共闘が維新の志士に喩えられることがあり、三島は全共闘と安保闘争をめぐって敵対しつつも、ある種の共感性も持っていたが、尊皇でない彼らとは共闘できないことを強く宣言していた。それは開国派であれ攘夷派であれ、幕末では「尊皇」「勤皇」が基本にあり、天皇制の破壊を企図する左翼の思想とは相容れないものであると三島は認識していたからであった。 また、楯の会を率いていた三島は、映画出演の約半年前の年頭に桜田門外の変について触れつつ、井伊直弼の首を取り自分も重傷を負って自刃した有村次左衛門のような国家変革の情熱に燃えた日本人らしい維新の若者と、タオルの覆面姿で「大和言葉」ではない汚い言葉を発し、「神州清潔の民」の日本人がとても居られないようなゴミだらけの不潔きわまりなく、あたかも外国人を住まわせるための地域のような「解放区」を目指す全学連が全く違うことに言及し、自身も維新の若者のような気概と志を見習いたい心持ちや希望を抱いていた。 維新の若者といへば、もちろん中にはクヅもゐたらうが、純潔無比、おのれの信ずる行動には命を賭け、国家変革の情熱に燃えた日本人らしい日本人といふイメージがうかぶ。かれらはまづ日本人であつた。そこへ行くと、国家変革の情熱には燃えてゐるかもしれないが、全学連の諸君は、まつたく日本人らしく思はれない。しかし私は、今年こそ、立派な、さはやかな、日本人らしい「維新の若者」が陸続と姿を現はす年になるだらうと信じてゐる。日本はこのままではいけないことは明らかで、戦後二十三年の垢がたまりにたまつて、経済的繁栄のかげに精神的ゴミためが累積してしまつた。われわれ壮年も若者に伍して、何ものをも怖れず、歩一歩、新らしい日本の建設へ踏み出すべき年だ来たのである。 — 三島由紀夫「維新の若者」 三島は幕末を舞台にした映画に出たことの喜びを、「ぼくは現代劇より、こんな格好をしてチャンバラをやる方が好きなんだ」とし、「なぜなら幕末の世相と似通っている現代は、“思想は腕力”だと信じるからです」とも述べている。
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