皇居内の施設
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御所第125代天皇明仁一家の住居として建設された。吹上御苑内にあり、昭和天皇がゴルフ場として使用していた広芝の西部分に建てられ、建物は雁が群れて飛ぶように配されている。1991年(平成3年)に着工、1993年(平成5年)春に竣工し、1993年(平成5年)12月8日より使用が開始された。地下1階地上2階の鉄筋コンクリート造で、外観は銅板葺。延床面積は5,770平方メートル。設計は内井昭蔵による。 私的部分(居間や書斎、寝室など17室)や接遇部分(広間や応接室、客用食堂、御進講室、皇族休所など11室)、侍従職などが執務する事務棟(執務室など32室)があり、天皇在位時は、2階の寝室横に「剣璽の間」があった。公的部分には「広間」や「小広間」などがあり、国内外の人々を招いての食事会や茶会、会見などに使われる。 2019年(平成31年)4月30日以前の第125代天皇明仁の在位時は、天皇の住居として単に「御所」、退位後の同年(令和元年)5月1日から2020年(令和2年)3月30日までは、上皇の御所として「吹上仙洞御所」と称されていた。上皇が東京都港区高輪の仙洞仮御所(高輪皇族邸)に転居した後に改修工事が行われ、2021年(令和3年)9月6日に第126代天皇徳仁一家が赤坂御所から転居し、再び天皇の正式な住居としての「御所」となった。 吹上大宮御所生前の昭和天皇と香淳皇后の住居たる御所であり、「吹上御所」と称されていた。吹上御苑内にあり、昭和天皇の還暦を記念して1961年(昭和36年)に竣工した。2階建ての鉄筋コンクリート造で、外装は象牙色のタイル貼り、屋根は銅板葺。延床面積は4,088平方メートル。御文庫とつないで建てられている。 1階は居間や和室、食堂、書斎、書庫などで、2階は寝室や浴室となっている。「剣璽の間」は、寝室の隣に設けられていた。 昭和天皇の崩御後は「吹上大宮御所」と改称され、皇太后となった香淳皇后の住居として使用されていた。2000年(平成12年)の香淳皇后が崩御した後は使用されておらず、建物は宮内庁が管理している。 宮中三殿皇祖天照大御神が祀られる賢所、歴代天皇・皇族が祀られる皇霊殿、天神地祇を祀る神殿の総称。宮中三殿に付随して新嘗祭の行われる神嘉殿や鎮魂祭が行われる綾綺殿などがある。 宮内庁庁舎宮内庁内郵便局 生物学研究所1928年(昭和3年)、昭和天皇が生物学の研究を行うために建設された施設。 現在は上皇明仁がハゼを始めとする魚類学の研究を行ったり、その年の新嘗祭を執り行う際に用いられる新穀米を栽培したりするなど多岐に亘って供用されている。米の栽培は職員の手を借りつつも、種まきから田植え、稲刈りまでを自ら行なっている。 かつては「生物学御研究所」とも称されたが、2008年(平成20年)10月に明仁天皇(当時)の意向により、「御」が外されて現名称に統一されている。なお明仁天皇自身は単に「研究所」と呼んでいる。 紅葉山御養蚕所1914年(大正3年)に貞明皇后の命により建てられ、以来、歴代皇后が蚕を飼育している施設である。御養蚕所で飼われる蚕から出来た絹製品は、主に皇室の儀典用衣裳等に用立てられる。 皇居東御苑1968年(昭和43年)10月1日から一般公開されている。本丸大芝生には、大嘗祭の会場となる「大嘗宮」(悠紀殿・主基殿)が設営された。 三の丸尚蔵館皇室に受け継がれた美術品が1989年(平成元年)6月に国に寄贈されたことから、これを保管・展示・研究するために建てられた。1993年(平成5年)11月3日に開館した。 桃華楽堂香淳皇后の還暦を記念して建てられた音楽堂。1966年(昭和41年)2月に建てられる。名称は香淳皇后のお印「桃」や画号「桃苑」にちなむ。 皇宮警察本部庁舎 宮内庁書陵部庁舎 宮内庁楽部庁舎 宮内庁病院
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