登録までの経緯とは? わかりやすく解説

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登録までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:16 UTC 版)

石見銀山」の記事における「登録までの経緯」の解説

日本政府は「東西文明交流影響与え自然と調和した文化的景観形作っている、世界類を見ない鉱山である」として、「石見銀山遺跡とその文化的景観」の世界遺産登録目指し2001年世界遺産登録前提となる「暫定リスト」に掲載し2006年1月ユネスコ世界遺産委員会推薦書提出した2007年5月各国から推薦され世界遺産登録候補審査するユネスコ諮問機関である国際記念物遺跡会議ICOMOS)が、遺跡の「顕著な普遍的価値の証明が不十分であることを理由に「石見銀山は登録延期が適当」と勧告した。それを受け、日本政府地元は「世界遺産への登録極めて厳しい」と判断したが、ユネスコ日本政府代表部は、委員会構成国大使専門家に、勧告反論する110ページにわたる英文の「補足情報」を送るなどして、石見銀山特徴である「山を崩した森林伐採したりせず、狭い坑道掘り進んで採掘するという、環境配慮した生産方式」を積極的に紹介し巻き返しのための外交活動展開した結果、「21世紀が必要としている環境への配慮」がすでにこの場所で行われていたことが委員反響呼び6月28日世界遺産委員会審議により、世界遺産文化遺産としての登録が満場一致決定された。日本の世界遺産登録としては14件目であり、文化遺産として11件目、産業遺産としてはアジア初の登録となる。 石見銀山世界遺産登録された際、海外ではその価値疑問視する報道相次いだ例えイギリスの『インデペンデント紙』は、1970年代まで廃屋建ち並んでいた大森地区地元企業中村ブレイス中村俊郎らによって作られ街並景観であることや(アダプティブユース#例を参照)、イコモスは登録基準いずれも満たしていないとした外交官巻き込み金銭惜しまない凄まじいロビー活動展開したことを指摘した石見銀山の登録に向けて日本側の代表として外交活動率いた近藤誠一ユネスコ大使は、2007年9月8日に、島根県大田市開かれたシンポジウムの中で、銀山周辺に残る自然が逆転登録の決め手になったことを明かしている。近藤大使ICOMOSによる登録延期勧告を受け、各国政府代表などに対し石見銀山伐採した分だけ植林していたことなど、推薦書記載していた自然に対す配慮歴史自然と人間の共生)を積極的に説明したところ、政府代表らの反応良く強い手ごたえ感じたという。なお、石見銀山における植林に関して脇田晴子研究によるところが大きい。 また、採掘精錬運搬搬出という産業としての一連の流れ表現している点も評価された。

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登録までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 10:15 UTC 版)

高句麗古墳群」の記事における「登録までの経緯」の解説

当初2003年には登録される見込みであったが、当時駐日中国大使武大偉から登録の引き延ばし同時登録を要請され画家平山郁夫中朝両国仲介行った。その経緯で、両遺跡2004年同時登録という形になった北朝鮮中国の間に、高句麗地区領土問題存在することが改め認知された。

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登録までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/27 01:45 UTC 版)

山・鉾・屋台行事」の記事における「登録までの経緯」の解説

山車山・鉾屋台)が巡行する祭としては、重要有形民俗文化財重要無形民俗文化財の両文化財指定されている5件の祭礼の内、すでに2009年平成21年)に「京都祇園祭の山鉾行事」及び「日立風流物」が無形文化遺産として登録されていた。日本政府2011年平成23年)に同分野の「秩父祭の屋台行事と神楽」及び「高山祭の屋台行事」の登録を提案したが、無形文化遺産登録数増加して既に登録された行事と同じ分野文化財単独登録することが難しくなっており、これら2件は「情報照会」とされて登録が見送られた。また「高岡御車山祭の御車山行事」も、この後続き単独での登録を要望し、関係各所働き掛けていたが難し情勢となった。 そこで、2014年平成26年3月13日には「京都祇園祭の山鉾行事」及び「日立風流物」を拡張する形で、「秩父祭の屋台行事と神楽」及び「高山祭の屋台行事」、「高岡御車山祭の御車山行事」も含む、国の重要無形民俗文化財指定祭礼行事32件をまとめて山・鉾・屋台行事」として2015年平成27年)の登録を目指し提案し2014年平成26年3月27日正式に登録申請決定、登録の可否最短2015年平成27年秋頃予定だったが、6月4日に登録申請行ったところ、各国より61件もの登録申請寄せられたため、登録審査2016年秋頃になるとユネスコより連絡を受け審査先送り結果となったその後2015年平成27年3月2日には「大垣祭の軕行事」が、新たに重要無形民俗文化財指定され、「山・鉾・屋台行事」にも加え18府県33件として同月に再提案し2016年平成28年11月30日エチオピアアディスアベバ開催されていたユネスコ無形文化遺産保護に関する条約無形文化遺産保護条約第11回政府間委員会において、代表一覧表への記載いわゆる無形文化遺産登録)の決議なされた

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登録までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 06:22 UTC 版)

高句麗前期の都城と古墳」の記事における「登録までの経緯」の解説

当初2003年には登録される見込みであったが、当時駐日中国大使武大偉から登録の引き延ばし同時登録を要請され画家平山郁夫中朝両国仲介行った。その経緯で、両遺跡2004年同時登録という形になった北朝鮮中国の間に、高句麗地区領土問題存在することが改め認知された。

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