登録への経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 22:42 UTC 版)
「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」の記事における「登録への経緯」の解説
2000年代初頭、宗像大社の氏子を中心とする地域住民が世界遺産を目指す市民運動を起こした。この時点では沖ノ島のみを対象とし、仮称として「沖ノ島祭祀遺跡」を用いていた。 2006年度と2007年度に、文化庁は各地方自治体から世界遺産暫定リストに加える候補の提案を受け付けた。この物件は、2006年度に寄せられた24件の提案の一つであり、「沖ノ島と関連遺産群」という名称だった。この24件からはまず4件が2007年1月に暫定リスト入りし、残る候補と2007年度の候補の計32件のうち、2008年12月15日、文化庁が北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群(北海道など)、九州・山口の近代化産業遺産群(福岡県など九州6県)とともに追加申請を決めた。そして、この物件を含む5件が2009年に暫定リストに加えられた。当初の記載名称は「宗像・沖ノ島と関連遺産群」であった。 2016年1月に「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」(Sacred Island of Okinoshima and Associated Sites in the Munakata Region) の名称で文化庁から正式推薦された。その後2017年5月に世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) は、沖ノ島および周辺の3岩礁のみに、古代祭祀に関する考古学的観点からの顕著な普遍的価値を認める一方、宗像大社の信仰上の価値などは日本国内レベルでの価値にとどまるとして、沖ノ島と3岩礁以外の構成資産の除外を条件に「登録」を勧告し、あわせて名称を「『神宿る島』沖ノ島」(Sacred Island of Okinoshima)とすることなども勧告した。 ICOMOSの勧告・自然崇拝に基づく古代の沖ノ島信仰と現在の宗像大社信仰に、継続性は確認できない。・なぜ、どう信仰が変容したのか、説明が不十分。・女人禁制など沖ノ島の禁忌の由来は、17世紀までしか記録をさかのぼれない。 ICOMOSの勧告に対しては、福岡県知事小川洋が8件全てでの登録を目指して努力する旨を表明し、宗像市長谷井博美も同様のコメントを発表した。他方で、8資産を結びつける「信仰」の価値が認められなかったため、文化庁からは逆転登録に向けた前途の厳しさを指摘する意見も出ていたが、地元の意向にも配慮し、政府は8件全てでの逆転登録を目指すことになった。
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