登録までの歩み
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「紀伊山地の霊場と参詣道」の記事における「登録までの歩み」の解説
1994年(平成6年)、「東紀州地域活性化事業推進協議会」が設立され、事業の一環として熊野古道現況基礎調査を実施。 1997年(平成9年)、和歌山県内の青年達の有志が作った民間団体「『熊野古道』を世界遺産に登録するプロジェクト準備会」の啓蒙活動が始まる。 1998年(平成10年)7月25日、シンポジウム「南紀熊野を世界遺産に指定実現を!!」が開催され、熊野三山と熊野古道を世界遺産にしようという機運が高まった。 1999年(平成11年)4月29日~9月19日、南紀熊野体験博にて世界遺産登録をアピール。9月、西口勇和歌山県知事(当時)が国に対し熊野三山と熊野古道の世界遺産登録を要請。 2000年(平成12年)4月、和歌山県が「世界遺産登録推進室」を設置。6月、「和歌山県世界遺産登録推進本部」と「和歌山県世界遺産登録推進協議会」(さらに細分化し「和歌山県世界遺産登録推進高野地域協議会」「和歌山県世界遺産登録推進熊野地域協議会」)を設置。同月、「高野熊野世界遺産連絡会」設立。夏、「紀伊半島三県知事会議」が開催され、世界遺産範囲を紀伊山地全域に広げ三県(和歌山県・奈良県・三重県)で登録を目指すことを決定。11月17日、国が世界遺産暫定リストに追加することを承認。 2001年(平成13年)4月6日、暫定リスト記載。5月、「世界遺産登録推進三県協議会」発足。8月1日、「三重県世界遺産学術調査委員会」設立。9月5~10日、「アジア・太平洋地域における信仰の山の文化的景観に関する専門家会議」開催。 2002年(平成14年)5月、「世界遺産登録推進大辺路地域協議会」発足。9月、文化庁へ推薦書を提出。 2003年(平成15年)1月27日、推薦書をユネスコ世界遺産センターへ提出し受理される。10月11日〜19日、イコモス(国際記念物遺跡会議)による現地調査。 2004年(平成16年)7月7日、第28回世界遺産委員会において登録決定。
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