毎日新聞主催とは? わかりやすく解説

毎日新聞主催(第1回 - 第8回大会)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 23:46 UTC 版)

全国高等学校サッカー選手権大会」の記事における「毎日新聞主催(第1回 - 第8回大会)」の解説

毎日新聞主催の「日本フートボール優勝大會」の第1回大会から第8回大会までは、関西学校のみ参加大会であった。当時関西でもサッカーやっている学校多くはなかったから、初回予選をする程のこともなく主催者側推薦出場チーム決めた第8回大会では、出場申し込みをした全チーム出場していることから、第1回第8回大会の間は、主催者側から推薦されれば、あるいは学校側から申し込めば予選なしで全てのチーム参加できたとみられる予選となったのは参加チーム全国拡大させた1926年第9回全国中等学校蹴球選手権大会第9回大会からである。このため第1回大会から、大阪兵庫からは複数学校参加し第8回大会では、和歌山奈良滋賀京都からは、各1チームに対して大阪からは11チーム兵庫からは7チーム参加した当時兵庫勢の力が抜けていたから、第1回第8回大会までの決勝カードは、兵庫×大阪兵庫×京都か、兵庫同士いずれかになる。関西地区以外の参加に関しては『神戸一中サッカー部史』 や、『広島一中国泰寺高百年史』 等に、広島一中は、毎日新聞大会出場できず、神戸高商主催朝日新聞後援)の「全国中等学校蹴球大会」に出場し毎日新聞大会連覇中だった御影師範を二年連続破って優勝した、と記述されていることから 第1回大会から第8回大会までは、関西地区以外の学校参加させない実質的に関西ローカル大会であった。これは参加チーム見て分かるし、多く文献記述されている。第1回から第7回まで御影師範連続優勝したとされるが、これは正確に日本一とはいえない。また当時交通事情は非常に悪く賀川浩は「当時遠征試合ハンディキャップ物凄く大きいため、地元大会で御影師範神戸一中勝ってもあまり威張れない」などと述べている。1921年名古屋蹴球主催新愛知新聞社(現:中日新聞社後援による「全国中等学校蹴球大会」が、東京府青山師範学校豊島師範明倫中学愛知一師、御影師範姫路師範など、関東東海関西地区から10チーム参加して名古屋行われたが、ここでも御影師範関東東京府青山師範学校敗れている。この大会決勝戦東京府青山師範学校×明倫中学である。御影師範は毎日新聞主催の第1回大会から第7回大会までを七連覇するが、他の大会出場する負けることがあったことから、この毎日新聞大会は、他の多く大会同程度レベルであった考えられる大会権威に関していえば、『高校サッカー60年史』の32頁に「東京ではそうでもなかったらしいが、大阪では大新聞主催でないと大会権威がなかった」、38頁に「私達御影師範では毎日新聞大会最高峰としていて、他の蹴球大会前哨戦準備大会位に考えていた」という記述や、『兵庫サッカー歩み-兵庫県サッカー協会70年史』107頁に「大日本蹴球協会設立される1921年)まで、最も権威のあるフットボール大会大毎主催する全国蹴球大会でその後関西では蹴球大会最高峰一つであった」という記述見られるから、関西他の大会よりは権威があったのかも知れない。しかし、神戸一中選手たちは「近畿チームだけの毎日新聞大会より、広島一中広島高師附属中学広島勢が来る神戸高商主催大会で勝つ方が値打ちがある」と言っていたという賀川浩証言もある。静岡県藤枝東高校サッカー部60年史 には、「われわれ志太中学藤枝東高校)の全国大会初優勝は、1931年東京高等師範学校主催の「全国中等学校蹴球大会」で、此処に全国津々浦々志太サッカー名声響かせたと書かれている。この東京高等師範学校主催の「全国中等学校蹴球大会というのも1924年から1932年に9回開催され全国規模中等学校サッカー大会で東日本学校がほとんどだが、近畿東海地区学校参加した大きな大会であった。志太中学は毎日新聞主催の大会全国大会になっても、戦前には毎日新聞主催の大会予選には出場してないようで、つまり学校によっては、特に関西以外の学校にとっては、毎日新聞主催の大会唯一の全国大会とは捉えておらず、乱立していた他の全国大会等を選んで出場していたものと見られる毎日新聞社主催大会1925年度の第9回大会から全国大会となり"名実とともに全国大会として発展した"と書かれた文献もあるが、すぐに唯一の全国大会認知された訳ではなく徐々に認知されていって、"名実とともに全国大会""唯一の全国大会"として完全に認知されたのは、1934年毎日新聞社主催大会一本化され、他の全ての大会終了した第16回大会以降の話と考えられる。これらの事情考えれば全国高等学校サッカー選手」が"真の全国大会"と文句なくいえるのは、1934年第16回大会からでないかと思われる。『高校サッカー40年史、60年史』の「全国高等学校サッカー選手権大会」の記述は、関西関係者の証言がほとんどで、他の地域大会はほとんど触れられていない。[独自研究?]『高校サッカー60年史』32頁に「毎日新聞主催の大会準備委員会 がともかく強力で、大日本蹴球協会ができてからも、協会タッチできなかった」、また「關東蹴球大會」を主催した東京蹴球団団史には「東京ではサッカー関係者主体で、朝日新聞の方が善意後援をしてくれたのだが、他の二つ新聞社の方が強力に推進された。これはこれらの地域サッカー関係者が、まだ微力だったといった方がよいのか知れないと書かれており、サッカー関係者としては、この毎日新聞主催の大会は、当初大阪新聞社勝手にやっているという考えであったかも知れない。やはりこの毎日新聞大会が後に高校選手権前身ということになったから重み増したことは間違いがない。前身ということにならなかったら、他の多く大会同様の位置づけであった考えられる。[独自研究?] 第8回大会は、旧制専門学校中学の部を分けて実施した専門学校の部の出場チーム早稲田高等学院官立神戸高商松山高等学校関西大学関西学院の5校で、決勝早高2-1関学。何故分けて実施したのかは『高校サッカー60年史』にも記述がないが、翌年の「全国中等学校蹴球選手権大会移行に伴いカテゴリー明らかに中学より上のチーム切り離すということかも知れない各試合の結果他、詳細が『高校サッカー60年史』に書かれておらず、翌年第9回大会以降大会旧制専門学校の部の結果記載がない。『輝く埼玉サッカー75年歩み』1082頁には「第8回大会"から"高専の部と中等学校の部に分け会場甲子園球場移って開かれたのであると書かれているため、その後継続されと見られる詳細不明

※この「毎日新聞主催(第1回 - 第8回大会)」の解説は、「全国高等学校サッカー選手権大会」の解説の一部です。
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