独立以後 作陶30年記念までとは? わかりやすく解説

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独立以後 作陶30年記念まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 20:49 UTC 版)

加藤孝造」の記事における「独立以後 作陶30年記念まで」の解説

1970年には、岐阜県陶磁器試験場退職して独立する多治見市陶房陶芸作家としての道を歩み始め荒川豊蔵師事する翌年穴窯を築く。また毎日新聞主催日本陶芸展推薦招待出品をし、朝日陶芸展審査員となる。1972年日本橋三越本店において個展を開く。同店における個展以後1988年まで隔年ごとに計9回開催される1988年個展は「作陶30年記念展」)。その間1973年可児市穴窯登窯二基を築き1975年には中日国際陶芸評議員となっている。 1983年創設され加藤幸兵衛賞の第1回受賞者、さらに東海伝統工芸監査員となる。1985年日本陶磁協会賞と岐阜日々新聞社教育文化賞を受賞した1986年中日国際陶芸審査員となる。大阪TWIN21のナショナルタワーとMIDタワーのメインロビーに志野陶壁「漠煌平」と織部陶壁「海潮音」を制作する気宇壮大偉容圧巻の大陶壁に、東大寺管長務めた清水公照が「陶巖壁」と命名した。この大作につづく作品巖壁13面が、翌年松坂屋本店において「大自然讃歌――太陽と緑 孝造志野織部巖壁展」として展示された。なお、1986年には東濃信用金庫本店ロビーでの志野陶壁「みのり」の制作をも行っている。

※この「独立以後 作陶30年記念まで」の解説は、「加藤孝造」の解説の一部です。
「独立以後 作陶30年記念まで」を含む「加藤孝造」の記事については、「加藤孝造」の概要を参照ください。

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