独立以後 作陶30年記念まで
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「加藤孝造」の記事における「独立以後 作陶30年記念まで」の解説
1970年には、岐阜県陶磁器試験場を退職して独立する。多治見市の陶房で陶芸作家としての道を歩み始め、荒川豊蔵に師事する。翌年穴窯を築く。また毎日新聞主催・日本陶芸展に推薦招待出品をし、朝日陶芸展審査員となる。1972年、日本橋の三越本店において個展を開く。同店における個展は以後1988年まで隔年ごとに計9回開催される(1988年の個展は「作陶30年記念展」)。その間、1973年、可児市に穴窯と登窯二基を築き、1975年には中日国際陶芸展評議員となっている。 1983年、創設された加藤幸兵衛賞の第1回受賞者、さらに東海伝統工芸展監査員となる。1985年、日本陶磁協会賞と岐阜日々新聞社賞教育文化賞を受賞した。1986年、中日国際陶芸展審査員となる。大阪のTWIN21のナショナルタワーとMIDタワーのメインロビーに志野陶壁「漠煌平」と織部陶壁「海潮音」を制作する。気宇壮大な偉容と圧巻の大陶壁に、東大寺の管長を務めた清水公照が「陶巖壁」と命名した。この大作につづく作品陶巖壁13面が、翌年松坂屋本店において「大自然の讃歌――太陽と水と緑 孝造志野・織部陶巖壁展」として展示された。なお、1986年には東濃信用金庫本店ロビーでの志野陶壁「みのり」の制作をも行っている。
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