歴史とは何か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 21:27 UTC 版)
『歴史とは何か』(れきしとはなにか、原題:What is History?)は、E・H・カーの著作の一つ。初版はマクミラン社から刊行された。1961年1-3月にケンブリッジ大学で行った「ジョージ・M・トレベリアン記念」での連続講演にもとづいている。「歴史は、現在と過去のあいだの終わりのない対話なのです」、また「過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分に理解できるようになるのです。人が過去の社会を理解できるようにすること、人の現在の社会にたいする制御力を増せるようにすること、これが歴史学の二重の働きです」といった文章は、力強く印象的な表現として、初版刊行時より多くの論者によって引用され、語られてきた[1]。
概要
本書の最初は、「客観的な事実」を全面的に信頼し拝跪して歴史を記述しようと試みた近代歴史学の批判から始まる[2]。ランケ流の実証史学の立場に立つJ.アクトンへの批判はくりかえされるが、しかし、本書の後半でアクトンが言及されるときには、自由=革命=理念の支配という等式を示しながら、現代の保守的ペシミズムの風潮への対置として、明らかな支持を表明している[3]。 また、歴史学においても他の科学=学問においても、客観性と主観性を截然と分けてきた近代主義を批判し、相対性理論以後の科学=学問における主体と客体との相互関係性をくりかえし論じる。本書の第3講「歴史・科学・倫理」のとらえ方は、もっとも枢要であり、巻末の「第2版のための草稿」でも念を入れて他の論者の議論が多く引用されている[4]。カーの講演・著作が1961年の作品だということを考えると、これは現代歴史学の著作として恐るべき現代性を表明していた。
本書は、マルク・ブロックの『歴史のための弁明』と並び、またリチャード・エヴァンズの『歴史学の擁護』とともに、歴史と歴史学を考えるすべての人が再読すべき基本的なテキストとされる。
刊行書誌
- 清水幾太郎 訳『歴史とは何か』岩波書店[5]〈岩波新書 青版〉(原著1962年3月)。ISBN 400-4130018。改版2014年11月
- 原書テキスト『歴史とは何か』音羽書房鶴見書店、原著1962年9月。ISBN 4755301645
- 近藤和彦 訳『歴史とは何か 新版』岩波書店、2022年5月。ISBN 400-0256742
- 全面新訳。未完となった第2版のためのカーの序文、自叙伝、詳細な訳注・補注・略年譜や訳者解説を収録。
- 解説書
- 喜安朗・成田龍一・岩崎稔『立ちすくむ歴史 E・H・カー『歴史とは何か』から50年』せりか書房、2012年。ISBN 4796703128
- 「特集:E・H・カーと『歴史とは何か』」『思想』1191号(2023年7月号)岩波書店
脚注
歴史とは何か?
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フクヤマ(ヘーゲル=コジェーブ主義)にとって、歴史とは様々なイデオロギーの弁証法的闘争の過程であり、民主主義が自己の正当性を証明していく過程である。よって、民主主義が他のイデオロギーに勝利し、その正当性を完全に証明したとき歴史は終わる(歴史の弁証法的発展が完結する)。歴史哲学では、歴史は意味を持ち、方向性を持ち、目的を持つと考えられている。目的を持っているから、その目的を達成したら、「歴史が終わる」という発想が生まれる。 世界史上に起こった戦争は、本質的にはみな名誉や気概、正当性を賭けたイデオロギー闘争(階級闘争や経済的利害の衝突ではなく)であり、認知(承認)を求める闘争である。歴史には栄華を誇った大国は数あるが、非民主国家はみなその不合理性ゆえに崩壊した。真に安定性のある政治体制は、合理的な支配体制である民主体制のみであると、フクヤマは考えている。 フクヤマ的な歴史解釈にのっとれば、第二次世界大戦は、「持てる国vs持たざる国」の植民地再分割戦争というよりも、「民主主義 vs 共産主義(世襲なき前衛主義的な党派独裁や寡頭政治) vs ファシズム(選民思想・指導者原理型のカルト政治)」の政治体制の戦争になる。また、長期的に見れば、戦争の勝敗も、戦術や兵站の優劣よりも、イデオロギーの優劣が決定する。例えば、独ソ戦でソビエト連邦が勝利した要因は、ナチスドイツのゲルマン民族至上主義とアドルフ・ヒトラー個人への強制崇拝よりも、ソビエト連邦の共産主義の方が、民族の壁を越えられる普遍性を持っており、他民族の支持を受けやすかったからである。同様に、太平洋戦争で中華民国やアメリカ合衆国が勝利した要因は、大日本帝国の日本民族至上主義と天皇への強制崇拝よりも、中華民国の党国体制やアメリカ合衆国の大統領制の方が、民族の壁を越えられる普遍性を持っており、他民族の支持を受けやすかったからである。これらのように、国内外の支持を受けることができたので、結果的に、戦術的にも兵站的にも優位に立てたのである。 ナチスドイツや大日本帝国のような偏狭な民族主義とカルト支配では、どれだけ支配領域を拡大しても、政治的抑圧によって他民族の敵対心を買い、パルチザンや内乱という形で支配体制が揺らいだり、広島と長崎への原爆投下という形で他国軍に倒される。戦争が政治的存在による集団戦である以上、民衆を統率する根拠であるイデオロギーが最も重要なのである。ベトナム戦争やイラク戦争のように、たとえ世界最強の軍事力を持ったアメリカ合衆国でも、国内外に支持される大義名分を構築しないまま戦争に踏み切れば、国内外の非難を浴び、大きなしっぺ返しを受けて終わる。 同じように、米ソ冷戦でアメリカ合衆国が勝利した要因も、アメリカ合衆国の方が、自由で普遍的なイデオロギーを持っていたからである。ソビエト連邦は、偏狭な民族主義からは自由だったが、共産主義以外のイデオロギーや自由を求める人々は「反革命的だ」「非科学的だ」「政府の敵」だと弾圧され、政府が政治と経済を強硬に統制し、国民は政治家や政策を自由に選べなかったので、他の様々な民衆や党派からは支持されず、最終的には崩壊した。アメリカ合衆国は、自由主義と複数政党制を維持し、市場原理主義者、社会民主主義者、宗教主義者などの様々な主義者の支持を集めることができたので、結果的に戦略的、兵站的な優位に立てたのである。
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