歴史とその背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 03:43 UTC 版)
「陸王 (オートバイ)」の記事における「歴史とその背景」の解説
実用車としてのオートバイは大正時代から日本に輸入され、特に大型で強力なアメリカ製二輪車のハーレーダビッドソンやインディアンなどは、しばしば側車(サイドカー)付きで官公庁・民間に用いられるようになっていた。大日本帝国陸軍もこの例に漏れず、偵察・連絡などの用途で機動力のあるオートバイの活用に着目するようになった。 昭和期に入ると、日本でのオートバイやオート三輪の国産化の動きが高まり、日本政府や軍も国産製品の導入を推進した。一方で国内産業保護政策として、輸入されるオートバイには多額の関税が掛けられるようになったため、輸入車の国内販売価格は高騰してしまった。 輸入会社日本ハーレーダビッドソンによる日本でのライセンス生産の要請、米ハーレーダビッドソン社の承認 1933年(昭和8年)当時、ハーレーダビッドソンの輸入を行っていたのは、製薬会社の三共(現第一三共)の多角経営策で設立された傘下企業の「日本ハーレーダビッドソンモーターサイクル」だった。同社は関税対策と当時の国策への協調の見地から、ハーレーダビッドソンの日本での現地生産を、アメリカのハーレーダビッドソン本社へ申し出た。 ハーレー本社にとってはこのオファーには旨味は少なかったが、当時のハーレー本社は世界大恐慌の煽りを受けて業績が悪化しており、新モデルへの設備更新時期でもあったことから日本法人の要請について了承することとなった。生産した車両を日本国外へ輸出しない事を条件に、サイドバルブエンジン車両の生産に関するライセンスやツール全てが日本側へ供与された。従って、この三共製ハーレーは、巷間言われるようなハーレーダビッドソンの模倣もしくは無許可コピーではなく、正式なライセンスを得て生産されたものである。
※この「歴史とその背景」の解説は、「陸王 (オートバイ)」の解説の一部です。
「歴史とその背景」を含む「陸王 (オートバイ)」の記事については、「陸王 (オートバイ)」の概要を参照ください。
- 歴史とその背景のページへのリンク