歴史としての啓示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/08 06:53 UTC 版)
「ヴォルフハルト・パネンベルク」の記事における「歴史としての啓示」の解説
パネンベルクによれば、啓示は神の間接的自己啓示である。間接的であるため、それは神自らが直接的に顕現するのではなく、神の歴史行為を通して示される。具体的な歴史の出来事そのものが神の啓示となっているのである。自ら編集した『歴史としての啓示』(1961年)において、パネンベルクは啓示を超歴史的なものと考えるバルトの立場や実存論的に考えるブルトマンの立場を批判した。これが彼独自の「歴史の神学」が展開する出発点となっている。 パネンベルクの啓示についての教義学的命題は、次の7つにまとめられる。 聖書の証言によれば、神の自己啓示は神顕現のように直接的にではなく、神の歴史行為によって間接的に生じた。 啓示は啓示的歴史の初めにではなく、終わりに見出される。 歴史の啓示は、神性の特殊な顕現とは異なり、見る目をもつすべての人間に開かれている。つまり普遍的な性質をもっている。 神の神性の普遍的な啓示は、イスラエルの歴史においては実現せず、そこで全歴史の終わりが先取り的に生起する形で、ナザレのイエスの運命において初めて実現した。 キリストの出来事は孤立した出来事としてイスラエルの神の神性を啓示しているのではなく、それがイスラエルとの神の歴史の一部であるかぎりにおいて神の神性を啓示している。 異邦人教会における非ユダヤ的啓示表象の形成には、イエスの運命における神の終末論的な自己証示の普遍性が表現されている。 言葉は預言、訓戒、告知としての啓示に関係する。
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