歴史から伝説へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/19 15:02 UTC 版)
20世紀初頭以降、中央アジアやインドなどでのイスマーイール派史料の発掘により上記のような見解には疑問が持たれるようになった。史料の博捜によって、「Ḥašīšī」が「下等な麻薬中毒野郎・暴徒」というような罵倒語であったであろうことが明らかになった。当時のイスマーイール派、特にニザール派はその急進性から厳格なスンナ派からは蛇蝎の如く嫌われており、イスラームの顔をした裏切り者、果てはユダヤ教徒の魔術師とまでいわれていた。「Ḥašīšī」の用例は、ごくわずかに北イランのザイド派史料でニザール派を「Ḥašīšī」と呼ぶほかは、ほとんどがシリアに集中しており、「Ḥašīšī」はシリア特有の罵倒語であったと考えられるようになっている。同時に「Ḥašīšī」の語がイランのニザール派に用いられることもほとんどなく、シリア史料における「Ḥašīšī」が指すものはシリア・ニザール派と考えられる点から、ニザール派そのものを「Ḥašīšī」と結びつけた東洋学的見解の誤謬も指摘されている。 また「Ḥašīšī」の語でニザール派を呼ぶ史料であっても、実際の大麻吸引について記述する史料はイスマーイール派、反イスマーイール派双方とも存在しておらず、「マルコ・ポーロ」の「山の老人」伝説についても、大麻の存在・効用はこの時期広く知られており成立しない。この点からも実際の大麻吸引から「Ḥašīšī」と呼ばれるようになったわけではなく、「Ḥašīšī」という蔑称がすでに成立しており、これをもってニザール派の呼称としたのであろうとされている。 暗殺教団伝説は、このように暗殺、麻薬、山中楽園、なぞめいた老人、十字軍といった魅力的モチーフに彩られたものであり、さらに学問的に裏付けられさえした点でオリエンタリズムの典型といえるものであった。大麻との関わりが否定されても、なおイメージは根強く、十字軍時代のシリアでの暗殺事件は直ちにニザール派が関わっているものとされがちであるが、確定されているものは少ない。ニザール派に関わる伝説は数多く、ニザール派を打ち立てたハサン・サッバーフ、詩人ウマル・ハイヤーム、セルジューク朝の宰相ニザーム・アル=ムルクが親友であったとする「三人の友」伝説などはその例で、ニザーム・アル=ムルクの暗殺を通じて、暗殺教団伝説と結びついて格好の文学的素材を提供している。 一方で暗殺教団伝説と混淆しがちであったイスマーイール派研究、なかでもニザール派研究は1955年、ホジソンのアラムート期ニザール派通史が出版されるにいたって、伝説からは離れ学術的研究が行われることになった。しかしアメリカ同時多発テロ事件以来、アメリカを中心として「暗殺」のイメージでのリンクから、「暗殺教団」に対し、シーア派とスンナ派の差異や史料・先行研究などを無視して、イスラームの本質があらわれた歴史的事実として論ずるような傾向も現れている。
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