歴史か小説か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 04:18 UTC 版)
「ペスト (デフォー)」の記事における「歴史か小説か」の解説
この「記録」がどのジャンルの書籍に分類されるかは議論の的となっている。当初はノンフィクションとして発表され読まれてきたが、1780年代にはフィクションとしての評価が認められた。デフォーがこの作品の作者であるか、あるいは単なる編集者であるかといった議論は長く続いた 。 エドワード・ウェドレイク・ブレイリー(英語版)は「記録」について「断じてフィクションではない、フィクションに基づいたものではない……表現のためにデフォーの記録に改ざんが行われたのだ」と記した。ブレイリーはデフォーによる記述を、真正な手記として知られるペスト医であったナサニエル・ホッジズ(英語版)の『Loimologia』(1672年)、サミュエル・ピープスの日記、ピューリタン牧師のトーマス・ヴィンセント(英語版)の『God's Terrible Voice in the City by Plague and Fire』(1667年)などの一次資料との比較に手を掛けていた。1919年にワトソン・ニコルソンはこのブレイリーの見解について支持し「ロンドンの大疫病の記録は適切で、検証されていない記述は一つとしてない」とし、この作品は「本物の歴史」とみなすことができると主張した。ニコルソンによれば「歴史的事実に忠実な記録である...著者はそのように意図した」とされる。少なくとも現代文学批評家のフランク・バスティアンはこの見解に同意し「創作されたささいな描写は...小さく、重要でない」とし「フィクションよりも我々が考える歴史に近い」と述べている。また「これを「フィクション」あるいは「歴史」のどちらにラベル付けすべきかという疑問はこれらの言葉に内在的に含まれる曖昧さから生じるものだ」とした。 また別の評論家は、この作品は想像されたフィクションとみなされるもので、当然に「歴史小説」として説明できると論じた。エヴァレット・ジンマーマンはこの見解を支持し「物語の語り手に焦点を合わせることで『疫病の年の記録』は歴史よりもより小説らしくなっている」と記した。しかしながら、デフォーが物語の語り部に「H. F.」を使い、発行当初には「記録」を経験者による疫病の回想録としたことが、歴史的記述よりも「ロマンス」(つまりウォルター・スコットが説明する「ロマンスと歴史の層を行き来する独特の構成のもの」)であるとする批評家たちの議論の大きな問題点となっている。疫病の歴史研究家であるウォルター・ジョージ・ベルは、デフォーは自らの資料を無批判に用いており、歴史家とはみなされないと述べている。 ウォルター・スコットの「記録」へのやや曖昧ともいえる見解は最初によく知られるようになったデフォーの伝記作家であるウォルター・ウィルソン(英語版)と共有される。ウィルソンは『Memoir of the Life and Times of Daniel De Foe』(1830年)において「デフォーは典拠のあるものと彼の頭から作り上げたものを作為的に混ぜ合わせ、それがどちらから来たものか見分けることを不可能にしたてあげた。彼は全体を恐るべき原典に似せることで、魔法のように取り囲み懐疑主義者を混乱させたのだ。」とした。ウィルソンの見解ではこの作品は「歴史とフィクションの同盟」であり、それぞれの間を絶えず変化してはまた戻るとしている。またこの見解は「記録」を「偽史」と呼び、「重厚な事実で、大いに真実である本」は「想像力が折々に燃え上がり、事実を支配する」と評したジョン・リチェッティも共有する。 これらの「記録」が「フィクション」か「歴史」あるいは「歴史兼フィクション」か、といった択一的な議論は現代でも続けられている。
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