歌舞伎以外の舞台
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「中村吉右衛門 (2代目)」の記事における「歌舞伎以外の舞台」の解説
父・兄らとともに東宝劇団に約10年間移籍しており、東宝劇団は歌舞伎をメインにしていたが、当然ながらそれ以外の舞台(ストレートプレイ、ミュージカルなど)の出演機会もあった。当時毎日新聞の演劇記者であった演劇評論家の水落潔氏は「まだ二十歳代だが実に上手かった。『雪国』の島村はこの時の吉右衛門さんを超えた俳優を見たことがない。」と書いている(演劇界2022年2月号)。萬之助時代の1964年『さぶ』(原作:山本周五郎)では、兄演じる二枚目の主役・栄二に対し、朴訥なさぶを演じ好評を博した(同じく兄弟共演で1968年・1975年にも再演)が、当時水落氏が当人に『さぶ』の話をしたところ「あれは栄二の芝居です。吉右衛門がさぶで褒められても名誉にはなりません」と途端に不機嫌になったという。一方で、1970年創刊の「季刊同時代演劇」のインタビューで好きな役を聞かれ「さぶ」とも答えている。 二代目吉右衛門となる萬之助の襲名披露は帝国劇場の杮落とし公演でもあり、東宝劇団の最初で最後の豪華な襲名披露公演となった。襲名を控えた若きスターの売り出しに、東宝側も力が入った。現代劇での主演は1966年『赤と黒』(原作:スタンダール)、萬之助の初の「赤毛物」への出演。作家大岡昇平が初めての劇作の筆を執り、菊田一夫演出の話題作であった。萬之助はソレル役に備えて髪を赤く染め、パーマをかけて臨んだ。萬之助らは公演前にスタンダールの生家などを巡る一週間のフランス旅行へ行き、現地の下見も行ったという。「(パリで)靴を買いたいので靴屋に行くと、通訳もしてくれる。ところが、靴を試そうと、右足を脱いだら靴下に穴が開いていて、いけねえと思って左を脱いだら左も開いていた。日本ではあまり歩き回らないのに歩いたせいかも知れません。恥ずかしい思いをしました。」また、公演中におたふくかぜに罹患。「それが皆にうつって。私は39度の熱を出して、本当に雲の上を歩くというのはこういうことかと思いましたね。」 当時の毎日新聞には、劇場の客席のほとんどは若い女性で「萬之助が登場しただけで騒ぎ、芝居などそっちのけ。恋がたきのクロアズノア伯(二代目白鸚)とフェンシングのけいこをする場面で、萬之助と染五郎が互いに入れかわり、それぞれの顔がよくわかるようになると、とたんにキャーッ」と、女性ファンの熱狂ぶりに辟易気味な劇評が掲載されるなど、襲名前から人気が高まっていた。この時期はまた、テレビドラマ、映画にも進出。山田五十鈴、司葉子、岡田茉莉子、若尾文子、岩下志麻、太地喜和子、乙羽信子、杉村春子らとの共演や、新派公演へも度々客演し、初代水谷八重子の相手役(婦系図、金色夜叉ほか)を多く勤めた。吉右衛門襲名後の歌舞伎以外の舞台公演は『太宰治の生涯』、『風林火山』、『蜘蛛巣城』など。『巨人の星』が舞台化された際には星一徹を演じている。 展覧会・写真展 中村吉右衛門スケッチ展(2005年5月10日-14日、銀座吉井画廊)朝日新聞連載の「吉右衛門が描く長崎旅情」「播磨屋画がたり」原画なども展示。 NHK厚生文化事業団チャリティー企画 芸能人の多才な美術展(2005年7月20日-8月5日、河口湖美術館) 早稲田大学演劇博物館企画展 初代中村吉右衛門展(2011年7月2日 - 2011年8月7日、早稲田大学演劇博物館・企画展示室I) 中村吉右衛門写真展―SONORAMENTE(2014年8月30日-9月15日、グッチ銀座7階) 早稲田大学芸術功労者顕彰記念 中村吉右衛門展(2016年6月7日 - 8月7日、早稲田大学坪内博士記念 演劇博物館) 二代目 中村吉右衛門 写真展(2018年11月7日 - 12月9日、MIKIMOTO銀座4丁目本店7階ミキモトホール) ミロ展-日本を夢見て(2022年2月11日-4月17日、Bunkamuraザ・ミュージアム)襲名披露公演をミロが観劇し、楽屋を訪問した際のスライドを展示。 新宿歴史博物館 令和4年度所蔵資料展「岩田ガラス新収蔵品展」(2022年4月1日-5月29日、新宿歴史博物館)岩田ガラス制作製品 岩-11 播磨屋(中村吉右衛門)襲名披露記念品 岩田工芸硝子 60×35×20 1966年を展示。色とりどりの蝶をかたどった、ゼリー菓子のようなガラス製の箸置き。透明、茶色、青、赤、黄色の5種。
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