六郷用水
次大夫堀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 02:24 UTC 版)
詳細は「六郷用水」を参照 園内には公園の名の由来になっている「次大夫堀」という用水が流れており(後年復元されたもの)、これは稲毛・川崎領(現在の神奈川県川崎市)の代官であった小泉次大夫の指揮により、慶長2年から15年の歳月をかけて開発された農業用水の一部である。この用水は正式には六郷用水といい、昭和初期までは周辺農地などに使われていたが、現在大半は埋められたか雨水用の下水に転用されている。世田谷区内では次大夫掘公園内に復元された約600mの流路と、丸子川として一部分のみ残っているのみである。
※この「次大夫堀」の解説は、「次大夫堀公園」の解説の一部です。
「次大夫堀」を含む「次大夫堀公園」の記事については、「次大夫堀公園」の概要を参照ください。
- 次大夫堀のページへのリンク