もりうち‐としゆき【森内俊之】
森内 俊之(もりうち としゆき)
- タイトル履歴
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竜王 2期(第16期-2003年度・26期) 名人 8期(第60期-2002年・62~65期・69~71期)-十八世名人(襲位は原則引退後) 棋王 1期(第31期-2005年度) 王将 1期(第53期-2003年度) 登場回数合計 22回
竜王:4回(第16期-2003年度~17期・22期・26期)
名人:11回(第54期-1996年・60~66期・69~71期)
王座:1回(第52期-2004年度)
棋王:3回(第25期-1999年度・31~32期)
王将:2回(第53期-2003年度~54期)
棋聖:1回(第75期-2004年度)獲得合計 12期 - 優勝履歴
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全日本プロトーナメント 2回(第7回-1988年度・第19回) NHK杯戦 2回(第46回-1996年度・51回) 早指し選手権戦 1回(第25回-1991年度) 早指し新鋭戦 2回(第7回-1988年度・第8回) 日本シリーズ 1回(第21回-2000年度) 新人王戦 3回(第18回-1987年度・第22回・第24回) 勝抜戦5勝以上 1回(第13回-1990~91年度) 優勝合計 12回 - 将棋大賞
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第16回(1988年度) 新人賞 第19回(1991年度) 勝率第一位賞・最多勝利賞・最多対局賞・殊勲賞 第21回(1993年度) 技能賞 第24回(1996年度) 技能賞 第29回(2001年度) 敢闘賞 第30回(2002年度) 技能賞 第31回(2003年度) 最優秀棋士賞・最多勝利賞・最多対局賞 第33回(2005年度) 優秀棋士賞 第38回(2010年度) 名局賞特別賞 - その他表彰
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2004年 将棋栄誉賞(通算六百勝達成) 2011年 将棋栄誉敢闘賞(通算八百勝達成)
森内俊之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 03:51 UTC 版)
森内 俊之(もりうち としゆき、1970年10月10日 - )は、将棋棋士、十八世名人資格保持者。棋士番号は183。勝浦修九段門下。神奈川県横浜市青葉区出身。
注釈
- ^ 1位は藤井聡太の15歳6か月(朝日杯将棋オープン)、2位は加藤一二三の17歳0か月(高松宮賞争奪選手権戦)、3位は羽生善治の17歳2か月(天王戦)。
- ^ 全日本プロ将棋トーナメントは、翌年から朝日オープン将棋選手権に移行した。
- ^ 第62・63・69・70・71期は森内の勝利、第54・61・66・72期は敗退。
- ^ ただし、休場者がいた第26期A級順位戦(1971年度)で、中原誠が8戦全勝を達成している。
- ^ 過去には、升田幸三、大山康晴、中原誠、米長邦雄、谷川浩司、羽生善治。
- ^ 成銀で取らせて相手の攻めを一手遅らせる意味の手。この▲4八金は「絶妙の一手」と言われ、また、後に勝又清和によれば「タイトル戦の三大妙手」とも評されているが、森内自身は「相手のミスで生じた手なので」と振り返っている。しかし、控え室の検討陣で△4五歩が敗着と想像できた者はいなかったという。
- ^ 棋王は翌年佐藤康光に奪われる。
- ^ 永世名人の襲位は、原則として引退後。
- ^ 失冠後は1年間前名人の称号を名乗る権利があるが放棄。4年前に名人失冠した時も名乗っていない。ちなみに過去には、谷川浩司が「前竜王・前名人」の肩書きを放棄して九段を名乗った例があり、その後も佐藤康光や丸山忠久は「前名人」を名乗らなかった。
- ^ 一方の羽生は、森内に1年遅れで永世名人(十九世名人)の資格を得た。永世名人が2年連続で誕生したのは史上初。
- ^ ただし指し直し局では後手となるが、若干不利である後手を本来より持ち時間が少ない局で消費できる。
- ^ すべて名人で8期獲得
- ^ 動画投稿サイト「YouTube」に投稿された
出典
- ^ 名人8期を含む
- ^ a b “第35期 竜王戦-森内俊之(もりうち としゆき)九段・棋聖プロフィル”. 読売新聞オンライン (2022年6月27日). 2023年8月27日閲覧。
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- ^ 現行の制度上、宣言者がフリークラスに在籍できる最長年数は23年(満42歳以下で翌期順位戦でB級1組所属が決まっている場合)
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- ^ 原田泰夫 (監修)、荒木一郎 (プロデュース)、森内俊之ら(編)、2004、『日本将棋用語事典』、東京堂出版 ISBN 4-490-10660-2 pp. pp.96-98 下段コラム・本人インタビュー
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- ^ Spopre.com - 将棋は頭脳スポーツだ 棋士列伝第一回 十八世名人森内俊之
- ^ 『パネルクイズアタック25公式ファンブック―読めば25倍面白くなる』(アタック25番組40周年特別委員会編、講談社)第4章『番組トリビアにアタック!』より
- ^ スポーツニッポン大阪 2005年3月4日記事『ABC系「アタック25」1500回記念タレント大会を収録』
- ^ “青葉区版『3月10日(土)に「もえぎ野センター」で講演会イベントを行う青葉区出身の将棋名人 森内 俊之さん』”. タウンニュース社 (2015年1月30日). 2015年1月29日閲覧。
- ^ 森内俊之名人(当時)の「パネルクイズ アタック25」クイズ頂上決戦! - 将棋ペンクラブログ・2015年6月25日
- ^ 将棋マガジン 1993年3月号『鈴木輝彦七段の棋士本音インタビュー「枕の将棋学’93 ゲスト 森内俊之六段」』および将棋世界 2003年8月号より
- ^ 日本バックギャモン協会によるツイート - 2014年8月8日
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- ^ 将棋棋士・森内俊之 九段推薦、日本バックギャモン協会監修!世界中で3億人以上が遊ぶ2人対戦ボードゲーム『バックギャモン』11/26(金)発売!
- ^ “5月3〜5日に行われたバックギャモン日本選手権で、優勝することができました”. 森内俊之の森内チャンネル@moriuchi_ch. 2022年5月10日閲覧。
- ^ 12月12日(月)各界著名人によるスペシャルDAY1開催! - 夕刊フジ杯ポーカー王位決定戦
- ^ “将棋の森内名人に感じ入る白鵬「精神的に通じるものがある」”. スポーツニッポン (2012年9月15日). 2015年1月29日閲覧。
- ^ 竜王戦七番勝負の昼食を展望する - 将棋ペンクラブログ・2013年10月17日
- ^ 森内名人、必勝の「カツカレー定跡」で竜王奪還なるか なぜかカレーに注目が集まった竜王戦第5局、結果は…… - アメーバニュース・2013年11月29日
- ^ 森内俊之竜王名人の最近のタイトル戦での昼食傾向を分析する - 将棋ペンクラブログ・2014年4月7日
- ^ a b 三菱電機 IHクッキングヒーター:「びっくリングIH」の5周年特設サイト 森内九段インタビュー
- ^ ~森内俊之名人 名人の英知に学ぶ~ - 日本将棋連盟・2013年8月30日
- ^ 【パインアメ】60年の愛 甘酸っぱいんや - 朝日新聞デジタル・2012年6月7日
- ^ カレーと将棋と熱いトークの夕べ。 - カレーの学校
- ^ 森内俊之の森内チャンネル
- ^ “代表ごあいさつ”. 青葉将棋クラブ(代表:森内俊之). 2018年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月11日閲覧。
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- ^ 第38回将棋大賞が決まる!|将棋ニュース|日本将棋連盟
- ^ 森内俊之名人が「横浜文化賞」を受賞|将棋ニュース|日本将棋連盟
- ^ 森内俊之名人が「神奈川文化賞」を受賞|将棋ニュース|日本将棋連盟
- ^ 森内名人、「神奈川イメージアップ大賞」受賞|将棋ニュース|日本将棋連盟
- ^ “森内俊之九段に紫綬褒章|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2021年1月7日閲覧。
- ^ 番組情報『その男、名人につき 2014年 森内俊之の名人戦全記録』
- ^ “2/15「奇跡のレッスン」に森内俊之九段が出演します|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2021年2月15日閲覧。
- ^ (日本語) 【東大VS天才棋士】東大生4人vs天才棋士・森内九段!どっちが勝つ!?【検証】 2020年3月6日閲覧。
- 1 森内俊之とは
- 2 森内俊之の概要
- 3 人物・エピソード
- 4 弟子
- 5 出演
- 6 脚注
森内俊之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:34 UTC 版)
オールラウンダー。主に角換わりや矢倉を好んで指し、受けのイメージが強いことから「鉄板流」と呼ばれる。
※この「森内俊之」の解説は、「棋風」の解説の一部です。
「森内俊之」を含む「棋風」の記事については、「棋風」の概要を参照ください。
森内俊之 (1970-)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 10:03 UTC 版)
「棋士 (将棋)」の記事における「森内俊之 (1970-)」の解説
通算獲得タイトル12期(うち名人8期)。十八世名人資格者。名人戦で幾度となく羽生と激闘を繰り広げた。堅い指し筋から「鉄板流」と呼ばれる。
※この「森内俊之 (1970-)」の解説は、「棋士 (将棋)」の解説の一部です。
「森内俊之 (1970-)」を含む「棋士 (将棋)」の記事については、「棋士 (将棋)」の概要を参照ください。
森内俊之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 17:34 UTC 版)
「聖 -天才・羽生が恐れた男-」の記事における「森内俊之」の解説
第4・6・8・9巻に登場。主に佐藤と切磋琢磨して研究に励む場面が描写されたが、第9巻では1996年12月3日の第55期A級順位戦6回戦)における村山との対局が描写された(結果は森内勝ち)。
※この「森内俊之」の解説は、「聖 -天才・羽生が恐れた男-」の解説の一部です。
「森内俊之」を含む「聖 -天才・羽生が恐れた男-」の記事については、「聖 -天才・羽生が恐れた男-」の概要を参照ください。
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