公式対局に関するエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:14 UTC 版)
「森内俊之」の記事における「公式対局に関するエピソード」の解説
事前に対局相手と先後が決まっている順位戦では無類の強さを誇っており、第73期(2014年度)にA級順位戦を4勝5敗で負け越すまで名人在位を除く全ての年度で勝ち越していた。1990年度(当時C級2組)の途中から1992年度(当時B級2組)にかけては順位戦26連勝を記録した。順位戦通算勝率は2007年度までの時点では8割を超えていた(114勝28敗、0.803)。順位戦と同様の制度(事前に対局相手と先後が決まっている)である王位戦・王将戦の挑戦者決定リーグでは負け越し経験が数度ずつあり、第60期王将リーグ(2010年度)では1勝5敗、第61期王将リーグ(2011年度)では0勝6敗と苦戦している。 二日制のタイトル戦で力を発揮する傾向があり、タイトル12期(詳細は後述)のうち11期が二日制の番勝負を制したものである。 体力に自信が無く、千日手の後の体力勝負は苦手とのことである。 四段時代の1990年1月、竜王戦で吉田利勝七段(当時)にポカで敗北し、横浜市の自宅までの30キロを、5時間をかけて、スーツ・革靴で走り切ったエピソードがある。 郷田真隆と戦った第65期名人戦の第1局1日目(2007年4月10日)の午後、森内の手番(24手目)のときに郷田が扇子を開け閉じして音を鳴らしたため森内が苦情を訴えた。立会人の中村修らが対応に追われ約30分間対局が中断するという珍事となった。この一局は郷田の逆転勝利となっている。この他にも1996年の第54期名人戦七番勝負第1局(対羽生善治)では、1日目の封じ手を巡ってトラブルを起こすなど(詳細は封じ手#その他を参照)、タイトル戦でやや神経質な動きを見せる事が多い。
※この「公式対局に関するエピソード」の解説は、「森内俊之」の解説の一部です。
「公式対局に関するエピソード」を含む「森内俊之」の記事については、「森内俊之」の概要を参照ください。
- 公式対局に関するエピソードのページへのリンク