東日本大震災と東北学院
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「東北学院大学」の記事における「東日本大震災と東北学院」の解説
災害ボランティアステーション 「災害ボランティアステーション」を立ち上げたことで、現在100を超える大学と連携し、その事務局となっている。他の大学とのコミュニケーションが親密になり、また自治体、NPO、住民との関係も築くことができた。地元は元より、国内さまざまな組織と連携している。 東北学院大学震災のプロジェクト 東北学院大学教養学部地域構想学科 教授、社会学者(専門は災害) の金菱清教授(2020年より関西学院大学教授)とゼミ生たちによる東北学院大学「震災の記録プロジェクト」 2015年(平成27年)、東日本大震災から5年。東北学院大学、金菱清ゼミナールが行った「震災の記録プロジェクト」をまとめた本書である。このゼミの学生と指導教官である金菱清が2013年(平成25年)から始めたものである。 「私の夢まで、会いに来てくれた 3・11 亡き人とのそれから」 2018年(平成30年)、2月下旬に刊行された本書は2016年(平成28年)1月に刊行された『呼び覚まされる霊性の震災学 3・11生と死のはざまで』(東北学院大学震災のプロジェクト 金菱ゼミナール編 新曜社刊)と対をなすもので、震災で死去した家族の夢を見た遺族に聞き取りした話をまとめた本である。中央紙から地元紙、地元テレビ局も加わり、当日夜から翌日にかけてニュースとして放送され、新聞では『震災7年特集』として3月11日前後に掲載された。その後も共同通信社、時事通信社の配信により、特に関東以西の西日本のメディアによって大きく報道された。一方、東北学院大学のゼミ生は、報告会の後も要請に応えてラジオ番組に生出演し、取材に応じてくれた方々に上梓された本を届ける様子などの取材にも応え、様々なメディアで取り上げられた。 「ブルガリア共和国大使館」が震災後、諸外国の中で最初に東日本大震災で多大な被害を受けた東北学院大学を慰問。 これは東日本大震災により、日本から避難していたブルガリア共和国大使館に代わり、ブルガリア共和国外務省からの「被災地慰問」の意向が 宮城県出身で、これまでブルガリア共和国の国際・イベントプロモーションを主催しブルガリア共和国の花であるブルガリアン・ローズ(burugariann・rose)の普及に努めていた東北学院大学OBに打診され、ブルガリア共和国外務省から正式に上記のOBに依頼されたことによる。 本趣旨を受けた上記OBの援助により、ブルガリアの歌手Valya Balkanska:ヴァリャ・バルカンスカ(ブルガリアン・ヴォイス)とペタル・ヤネフ(バグパイプ奏者) を日本に招き、上記OBがブルガリア大使館一行に同行し、震災で壊滅的な被害を受けた宮城県東松島市を慰問した。その際、校舎が全壊し多くの犠牲者を出していた鳴瀬第一中学、鳴瀬第二中学を慰問。その後、ブルガリア共和国と東松島市は国際姉妹都市となっている。参照 外務省:ブルガリアによる被災地生徒受入れ。また、本件では上記OBが親交のある「青山学院大学」の賛同、協力を得て 東京の青山学院・アスタジオにおいて、司会を行い、ヴァリャ・バルカンスカとペタル・ヤネフの「東日本大震災復興チャリティーコンサート」が開催された。この模様は青山学院・アスタジオから本学にテレビ中継されている。 また本イベントのチャリティーは上記OBと青山学院の意向によって「日本赤十字社」の東日本大震災義援金と「青山学院大学」から東北学院大学への義援金として納められている。 「関西学院大学」、関学大応援団総部(指導部・吹奏楽部・チアリーダー部)の総勢84人が東北学院大学を慰問。 東日本大震災で多大な被害を受けた東北学院大学を「関西学院大学」の応援団、チアリーダーチーム、吹奏楽部が慰問し、東北を元気に、復興応援企画「エール!笑顔ここから‼︎」と銘打ち東北学院大学、東北大学も参加し3大学合同パフォーマンスを披露した。キリスト教主義学校(ミッションスクール)として、明治の同時期に誕生し、日本基督教団同盟校でもある「関西学院大学」は阪神・淡路大震災で学生15人と教職員ら8人が死亡するなど大きな被害を経験している(震災時、東北学院大学は関西学院大学に義援金援助)。関学の学生は「16年前の阪神・淡路大震災では多くの犠牲者を出して悲しみにくれたが、全国から多くの善意や励ましをもらった。今度は私たちができることをしたい。」「肉親を失い途方に暮れる毎日だったが、多くの方に支えていただき、励まされ、立ち直ることができた。今の私が在るのは、あの時の愛の励ましがあったから。(東日本大震災の深刻な状況に)当時が重なり、早く、早くいかなくてはと、居ても立ってもいられなかった。今度は私たちがお返しして、元気になっていただきたい。」と語った。学生たちの想いから始まった、東日本大震災の深刻な状況に発起した学生主導による慰問であった。
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