震災時とは? わかりやすく解説

震災時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:24 UTC 版)

関東大震災朝鮮人虐殺事件」の記事における「震災時」の解説

大正12年(1923年)、関東地方地震によって壊滅的な被害被り民心社会秩序がひどい混乱陥ったことを受けて内務省戒厳令宣告し各地警察署治安維持最善を尽くすことを指示した。しかし、そのとき内務省各地警察署下達した内容の中で「混乱乗じた朝鮮人凶悪犯罪暴動などを画策しているので注意すること」という内容があった。この内容は行政機関新聞民衆通して広まり朝鮮人や、間違われ中国人内地人であるところの日本人聾唖者など)が殺傷される被害発生した東京日日新聞一六八六七号)に「火をのがれて生存苦し牛込」「と火と朝鮮人との三方攻め」といふ題下にて、次の如き記事載せてあつた。「火に見舞れなかつた唯一つの地として残され牛込二日夜は、不逞鮮人放火及び井戸毒薬投下警戒する為め、青年団及び学生有志達は警察軍隊協力して徹宵し、横丁毎に縄を張つて万人を附し、通行人誰何する緊張し各自棍棒短刀脇差携帯する殺気立ち、小中学生なども棍棒携へて家の周囲警戒し宛然在外居留地に於ける義勇兵出動の感を呈した市ヶ谷町は麹町六丁目から、平河町風下の関係から(此所新聞紙破れて不詳)又三日二人連の鮮人井戸イラズを投入せんとする現場警戒員が発見して直ち逮捕した。」 下野新聞九月六日)に「東京府下大島附近」「鮮人主義者掠奪強姦をなす」と云ふ題下にて次の如き記事記載されていた。「東京府下大島附近は、多数鮮人支那人とが空家入り込み夜間旺に掠奪強姦をなし、又社会主義者は、市郡に居る大多数鮮人支那人煽動して内地人と争闘をなさしめ、そして官憲地方人との乱闘内乱を起させ様と努めて居る許りでなく、多数罹災民の泣き叫ぶのを聞いて彼等革命歌高唱して居るので、市民激昂はその局に達して居る。」 竹槍日本刀、銃などで武装した民間人自警団結成し朝鮮人(と彼らに間違われ中国人)を殺害し始めた朝鮮人誤解され中国人犠牲となった事件沖縄秋田三重出身者犠牲となった検見川事件秋田出身者犠牲となった妻沼町事件香川出身一家9名が犠牲となった福田村事件など地方出身日本内地人も殺された。また朝鮮人犠牲者以外にも社会主義無政府主義指導者殺害した動きがあり、無政府主義者大杉栄伊藤野枝大杉6歳の甥橘宗一らが殺され甘粕事件社会主義者10名が犠牲となった亀戸事件起きた

※この「震災時」の解説は、「関東大震災朝鮮人虐殺事件」の解説の一部です。
「震災時」を含む「関東大震災朝鮮人虐殺事件」の記事については、「関東大震災朝鮮人虐殺事件」の概要を参照ください。

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