木と文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 05:25 UTC 版)
詳細は「en:Sacred grove」および「en:Trees in mythology」を参照 木は古代から豊穣なイメージを提供している主題であり、現代でもそうあり続けている。特に大きな樹木を神聖視して、神木として祭り崇めることを巨木信仰という。世界樹のように天に届く木や、世界を支える木に関する神話伝説 があちこちに見られる。単独の樹木ではなく、森林、あるいはそれを置く山を信仰の対象とする場合もある。 木は、自然の事物のうちで最も豊富にして広範囲にわたる象徴をもつ主題の一つだ、と飯島・濱谷らは指摘している。人類のあらゆる時代・地方の文化で木は主題として現れるが、それを大まかに要約すると、中心軸、生命と豊穣、元祖のイメージ、に大別することも可能であると飯島らは指摘した。分類のしかたは他にもいくつもあるが、ここでは便宜的にそれを採用して説明を進めてみる。 中心軸 樹木は、多くの民族の文化において、地と天空をつなぐ宇宙軸、世界軸と考えられた。ミルチア・エリアーデはこれを《中心のシンボリズム》と定義した。こうした宇宙軸の観念は、紀元前4000-3000年頃にはすでにあり、樹木に限らず柱、棒、塔、山などは、みな同様のシンボリズムを共有していたのである。樹木というのも根が地下に張り枝は天空に伸びるためにそのシンボリズムを共有していたのである。 代表的なものとして扱われているものに、スカンジナビアに伝わる《エッダ》で詠われたイグドラシルがある。 ガリアのケルト人はオーク、ゲルマン人は菩提樹、イスラム教徒はオリーブ、インド人は「バニヤン」と呼ばれるイチジク、シベリアの原住民族はカラマツを、それぞれ聖なる木として崇拝していた。これらの木は、世界の軸、つまり天と地が結ばれる場で神性の通り道とされたのである。 生命力と豊穣のシンボル 木は豊穣な生命力、生産力の象徴となってきた。 ペルシア神話、ゾロアスター教では、ガオケレナ、サーエナの木はあらゆる種類の薬草の種子を持ち、食すと癒しが得られ、その木の実からは不老不死の霊薬ハオマが作られる。 インドでは、樹液は地母神の乳とされ、すべての木を流れ果実をみのらせるソーマあるいはアムリタである。古代西アジアでは大地の女神イシュタルの恋人は植物神の木であり、イシュタルと木が聖婚を行うことによって大地は春の再生と冬の種子ごもりを繰り返す。 聖書では、エデンの中心に生命の樹と知恵の樹が並んでいたが、これらはしばしば一本の木や並び立つ木として表現され、人間の生と死を象徴する。またキリスト教では、十字架はしばしば永遠の生命を表す一本の木として表現されている。 元祖のイメージ 『イザヤ書』の11章に描かれる《エッサイの木》はユダヤ人の歴史を象徴している。そしてこのエッサイの木は中世のキリスト教で数多く表現されたイメージであり、エッサイの腰から生えた木には、マリアとキリストが実っている。ここから、ひとりの男の体から育つ木のイメージによって元祖や祖型およびそこから分岐・発展してゆく様を図示する伝統が生じた。 現代の想像力への寄与 木は近・現代でも人間の想像力を常に掻き立ててきた。 シュルレアリストのマックス・エルンストは森の連作を描いたが、これはロマン派と中世神秘主義を継承したもので、文明に侵されない人間精神の根源を象徴するという。ピエト・モンドリアンも、木の連作により宇宙的シンボリズムを抽象化した。パウル・クレーとワシリー・カンディンスキーは木を芸術的創造のプロセスにたとえた。 大江健三郎は木を主題とする一連の作品の中で宇宙樹のシンボリズムに再び力を与えた。 日本 日本の神社には付随して神域を取り囲むように樹木が残されていることが多く、これを鎮守の森と呼ぶ。さらに巨木などをそのまま神体とし、神木として祀ることもある。 日本語の植物名は、サカキ、エノキ、ヒノキ、ケヤキ、ツバキ、イブキ、ミズキ、サツキ、アオキ、エゴノキ、マサキ、カキ、ウツギ、ヤナギ、ヤドリギ、スギ、クヌギなど、「キ」または「ギ」で終わるものが少なくない。
※この「木と文化」の解説は、「木」の解説の一部です。
「木と文化」を含む「木」の記事については、「木」の概要を参照ください。
- 木と文化のページへのリンク