昇華型熱転写プリンターの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 02:51 UTC 版)
「染料昇華印刷」の記事における「昇華型熱転写プリンターの歴史」の解説
1980年代前半、VTR機の普及により、写真に匹敵する画質の印刷を行えるビデオプリンターの需要が高まっていた。そのため1982年、ソニーがカラービデオプリンター「マビグラフ」を発表。これが世界初の昇華型熱転写プリンターである。ソニーの成功を受け、エプソンやキヤノンを含む日本メーカー各社が昇華型ビデオプリンターの開発に参入した。 1985年には日立製作所も昇華型熱転写プリンターの実用化に成功し、1986年5月、感熱昇華方式を採用した世界初の家庭用カラービデオプリンター「VY-50」が250,000円(標準価格)で発売された。昇華型インクシートは大日本印刷と、感熱ヘッドは京セラと共同開発を行った。発熱素子1ドット当たり64階調の、当時としてはリアルな階調表現が可能であった。 1995年にはゲームセンターでプリントシール機のプリント倶楽部が稼働し、1990年代後半にはプリントシール機が大ブームになるとともに、プリントシール機の一部として昇華型熱転写プリンターも普及した。三菱電機京都製作所が製造した昇華型プリンターは、1997年にプリント倶楽部のフォトプリンターとして採用され、三菱の昇華型プリンターは一気に世界シェアを伸ばした。神鋼電機(現・シンフォニアテクノロジー)の製品も1998年より競合のプリント機に採用され、こちらも一気に世界シェアを伸ばした。 2000年頃にはデジカメブームによって家庭用フォトプリンターの市場が増大し、多くのメーカーが昇華型プリンターで家庭用フォトプリンター市場に参入。HP(Photosmart)とエプソン(カラリオ)の2社だけはフォトプリンターでもインクジェットを採用し続けたが、他のメーカーは昇華型を採用し、2004年当時のフォトプリンターは昇華型が主流であった。大手メーカーの昇華型フォトプリンターとしては、オリンパスの「CAMEDIA」、ソニーの「ピクチャーステーション」などが存在した。2002年には業務用昇華型フォトプリンター大手の神鋼電機も1万9800円の低価格な家庭用昇華型フォトプリンター「COLOR PET SP-100」で50年ぶりにコンシューマに参入したが、家庭用においてはキヤノンの昇華型プリンターである「SELPHY」が強く、ほとんどのメーカーが2010年までに撤退した。 昇華型熱転写プリンター草創期からの大手メーカーであったソニーの動きを挙げると、1990年代後半にデジカメ「デジタルマビカ」と連動したビデオプリンター「マビカプリンター FVP-1」(1998年)などを販売していたソニーは、プリンターは昇華型熱転写方式のビデオプリンターしか展開していなかったが、1998年に小型メモリーカード「メモリースティック」を発売したことを契機として、メモリースティックを基軸としてパソコン (VAIO) やデジカメ(サイバーショット)と連動するAV製品の展開に力を入れ始めた。1999年、ソニーは昇華型熱転写方式を採用したメモリースティック対応家庭用デジタルフォトプリンター「DPP-MS300」を発売し、家庭用フォトプリンター市場に参入。2000年にPlayStation 2対応インクジェット式ビデオプリンタ「popegg」(キヤノンのOEM)を発売して流れに乗るソニーは、2001年に自社開発によるインクジェットプリンター事業に参入し、ソニー初のインクジェットプリンター「MPR-501」を発表。インクジェットプリンタヘッドは「サーマルヘッド方式」を採用することで、昇華型熱転写プリンタで培ったノウハウが生かせるという目論みがあったが、インクジェット方式では家庭用プリンタ大手であるキヤノンやエプソンにはかなわず、シェアが取れなかった。そのため、ソニーは従来の「シリアルヘッド方式」よりも高速・高画質な次世代インクジェットプリンターとして「ラインヘッド方式」を採用した「LD Shot」と称するインク吐出技術の開発を進め、2003年にはラインヘッド方式によるインクの吐出技術の開発に成功したことを発表したが、これを搭載したプリンターは予価が50万円まで跳ね上がったうえに、専用紙やインクの開発などまだまだ難題が多く、ソニーは2004年にラインヘッド方式のインクジェットプリンター「LPR-5000」(350,000円)の受注販売までこぎつけた物の、商業的には失敗に終わった。そのため、「LPR-5000」の受注は2005年をもって終了し、インクジェットプリンター事業自体も2005年に終了した。ソニーのプリンター事業は再び昇華型熱転写プリンター事業のみとなったが、家庭用プリンター事業は2009年発売の「DPP-F700」をもって終了。ソニーは業務用フォトプリンターでも世界的大手だったが、ソニーに昇華型プリントメディアを提供していた大日本印刷に業務用フォトプリンター事業を譲渡し、2010年に業務用昇華型フォトプリンター事業から撤退。以後は医療用フォトプリンター事業に資源を集中している。 プロフェッショナル向け写真印刷の分野においては、2000年代に入るとデジカメの普及と銀塩写真の衰退に伴い、プロフェッショナル向け写真プリント市場において銀塩写真用の「銀塩ミニラボ」がデジタル写真用の「ドライミニラボ」に置き換えられ、富士フイルムやDNPなどの昇華型プリンターが普及した。しかし2010年代に入るとメーカー各社がラインヘッドの実用化に成功するなどインクジェットプリンターの高性能化に伴い、従来は昇華型熱転写プリンターが得意とした写真印刷の分野に各社が続々とインクジェットプリンターを投入し、昇華型熱転写プリンターからインクジェットプリンターへの置き換えが始まった。 インクジェットプリンター「PIXUS」を展開する家庭用プリンター大手のキヤノンは、2011年当時は家庭用フォトプリンターとしては昇華型熱転写プリンター「SELPHY」を展開する、家庭用昇華型熱転写プリンターの最大手であったが、「SELPHY」のプリントユニット自体は自社開発ではなく、初代の「CP-10」(2001年発売)よりアルプス電気のOEMであった。キヤノンは2011年、PIXUSに搭載している高密度プリントヘッド技術「FINE」を応用し、キヤノンで初めてラインヘッドを搭載した(「FINEラインヘッド」)インクジェットプリンター「DreamLabo 5000」を発売し、インクジェットで業務用フォトプリンター市場に参入。「5000」とは「5000万円」と言う意味で、業務用としても著しく高価だが、その価格に見合う高いクオリティを標榜している。 インクジェットプリンター「Colorio」を展開する家庭用プリンター大手のエプソンは、昇華型熱転写方式ビデオプリンターからは1988年に撤退し、以後はインクジェットプリンターの専業メーカーとして、2000年頃のフォトプリンターのブームの時でも昇華型には再参入しなかった。フォトプリンターとしては、プロフェッショナル/ハイアマチュア用でも家庭用と同じインクジェットプリンターの「Colorio」を展開していたが、基本的に家庭用がメインであったため、インクジェット技術を用いた業務用への進出の機会をうかがっていた。エプソンは2007年に開発した「TFP(マイクロピエゾTFヘッド)」技術を武器として、2012年に「SureColor」シリーズでサイネージ向け市場に参入するなどしていたが、エプソンはさらに2013年までに1億6000万ドルを投入し、次世代プリントヘッド「PrecisionCore」の実用化に成功。「PrecisionCore」はシリアルヘッド方式でもラインヘッド方式でもどちらでも構成可能で、多種多様なメディアに印刷可能であることから、2010年代中頃よりエプソンは「銀塩・昇華型をインクジェットに置き換える」方針を掲げ、CAD市場や捺染市場(=昇華式ピエゾプリンター)など様々なプロフェッショナルプリンティング分野に参入している。
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