日本におけるピザ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 04:20 UTC 版)
現在は、従来よりも本格的なピザが冷凍食品として出回るなど、一般食品としても定着している。 ピザ協議会の調査によると、2010年(平成22年)度の日本におけるピザ末端売上高は、2,271億円に達している(1980年度は約500億円)。 なお、沖縄県では戦後、長期間に亘ってアメリカの統治を受けた影響もあり、本土よりも早くピザが普及し、現在はすっかり県民の食生活に定着しているが、歴史的経緯からアメリカ風ピザがほとんどである。 歴史 「日本初のピザ」は、第二次世界大戦中に神戸に着いたカリテア号(イタリア海軍の特務艦)の、乗組員2人が関与したとされる。まず、アントニオ・カンチェミ(1916 - 2003)が1944年(昭和19年)に僅か2ヶ月間だけ開いた神戸のレストランにて、初めてピザが焼かれたという説がある。 もう一つは、戦後の1946年(昭和21年)9月1日に、兵庫県宝塚市の宝塚温泉街にある寶來橋付近で創業したイタリア料理店“アベーラ”という説である。初代店主となったオラッツィオ・アベーラ(1913 - 1974)はシチリア出身で、昭和21年当時は日本国内にはイタリア料理店などはほぼ存在せずに、一般的ではなかった戦後間もない時に創業した。なお、阪急今津線宝塚南口駅界隈にある洋館建ての店舗は、オラツィオが帰天した後の1971年(昭和46年)に“アモーレ・アベーラ”として元の自宅を改装して移転した店舗で、子息のエルコレ・アベーラがオーナーとなり、父親から伝授したシチリア風テイストを受け継いでいる。 「日本初のピザハウス」は、1954年(昭和29年)、進駐軍のGI出身でイタリア系アメリカ人のギャング、ニック・ザペッティが、六本木に開いた“ニコラス”とされる。米陸軍の部隊を対象客層としてオープンしたが、日本人の若者層にも人気を博し、認知された。 1964年(昭和39年)には、日本ペプシコーラ創業者でもあった比嘉悦雄がアメリカから冷凍ピザを輸入し、販売を開始。その後は国内製造も行われ、スーパーマーケットなどで入手可能となり、家庭に普及し始める。 1973年(昭和48年)、アメリカのチェーン店“シェーキーズ”が日本初進出。 1970年代半ば頃に差し掛かると、喫茶店や洋食店、ファミリーレストランなどで、ピザパイとして普及が始まる。前後して、ピザトーストも考案される。 1985年(昭和60年)9月30日、日本で初めての宅配ピザ店“ドミノ・ピザ”恵比寿店が誕生。 平成に入ると、さらに宅配ピザ店が全国に店舗を広げ(後述)、徐々にピザは一般的になっていく。そのほとんどはアメリカ風ピザであったが、1990年代のイタめしブームによってイタリアンピザも紹介され広まっていった。 2018年(平成30年)7月28日、日本で(アジアでも)初めてピザ自動販売機“Pizza Self”が、広島県広島市西区のレンタルビデオ店TSUTAYA楠木店に設置された。 またイタリアン・レストラン・チェーンのサイゼリヤもピッツアを提供しており、1990年代末から2010年代にかけて店舗数を伸ばし現在では日本国内で1000店舗を超え、多くの人が近所の店舗で(イタリア風のピッツァを)気軽に安価に食べられるようになった。 前述のピザトースト以外にも、パン屋におけるピザパン(惣菜パン)、ピザドッグ(ホットドッグ)、1972年のオープン時に既にあったロッテリアのイタリアンホット(ホットサンド)、1979年に登場したピザまん(中華まん)、コンビニエンスストアにおけるブリトー(トルティーヤ)、スティックピザ、ピザ味の商品(スナック菓子)など、多様である。 日本のピザは「日本でピザを食べるとなると、高いわりに美味しくないし」とアメリカ人の評判が良くなく、中には「コーンマヨピザってのを見た時には、めまいさえして倒れるかと思ったほど」という意見までもあった。
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