方格規矩四神鏡とは? わかりやすく解説

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方格規矩四神鏡

主名称: 方格規矩四神鏡
指定番号 510
枝番 00
指定年月日 1996.06.27(平成8.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書 青龍三年の銘がある/京都府大田五号出土
員数 1面
時代区分 古墳
年代
検索年代
解説文: 古墳時代前期方墳から出土した紀年銘鏡である。
 古墳は、京都府竹野郡弥栄町和田野小字大田と、中郡峰山町矢田小字坂尾にまたがって所在する土砂採取工事先立ち平成五年に発掘調査実施された。墳丘規模長辺一八・八メートル短辺一二・三メートル、高〇・九メートルで、四箇所埋葬主体部があった。
 本鏡は、そのうち規模の最も大き第一主体部納められた、凝灰岩【ぎようかいがん】製の組合式石棺くみあわせしきせきかん】の内部から出土した、方格規矩四神鏡である。鈕【ちゆう】は扁平で、長方形の鈕孔【ちゆうこう】を、中央方格【ほうかく】と対角方向開ける。方格内には、右回り十二支文字環状乳【かんじようにゆう】と交互に配する内区には、各辺の向かって左側に玄武【げんぶ】・青竜【せいりゆう】・朱雀【すざく】・白虎【びやつこ】の四神像【ししんぞう】を配置しそれぞれの右側にそれと対になるように、動物乗る人物動物左手挙げる人物を描く。各像の間に配したT・L・V字形の内、L字は逆に折れV字角度が直角にならず鋭角になるなど割付乱れ見られる。方格文とT・L・V字文の内部には、工具削られた跡が線状に残る。
 銘帯には、左手をあげる人物像のあたりから右回りに「青龍三年顔氏作竟成文左龍右虎不詳玄武陰陽八子九孫治中央壽如金石宜侯王・」(青龍三年、顔氏が鏡を作った文様入れるに当たっては、左に龍を置き、右に虎を置いて不詳避け朱雀玄武陰陽に従って正しく配置した。八子と九孫がすべて中央の官職に就き壽齢金石堅き如く長生きし、侯王となるにふさわしい」)の三九文字入れている。外区は、珠点【しゆてん】をもつ複線波文帯を挾んで両側に凸線鋸歯文帯が回り外周突線はない。外区一部布片付着する鏡面は、ほぼ全面が緑錆で覆われている。なお、東京国立文化財研究所が行った鉛同位体比による分析では、本鏡に含まれる鉛は、中国華南産のものである推定されている。
 本鏡は、内の北西隅で鏡面を上にして出土した。鏡背の布の付着と鏡下の黒色腐食物の残存状況から、鏡は当初布で巻かれ木箱納められ被葬者頭部右側置かれいたもの考えられる
 「青龍三(二三五)年」は魏【ぎ】の年号で、本鏡は日本出土紀年銘鏡のうち、最古のものである日本出土した紀年銘鏡は、他に一〇面が知られ、本鏡出土以前最古とされていたのは、山梨県鳥居原古墳出土の呉の鏡「赤烏【せきう】元(二三八)年」鏡で、魏の鏡では「景初【けいしよ】三年」銘のある、大阪府和泉黄金塚古墳島根県神原神社古墳出土であったまた、日本出土紀年銘資料としても、東大寺山古墳から出土した中平ちゆうへい】」銘(中国後漢 西暦一八四-一八九年)の環頭大刀かんとうたち】に次ぐ、二番目に古いものである
 この鏡にある「青龍三年」は、卑弥呼【ひみこ】が魏に使者送った景初三(二三九)年の四年前に当たるため、卑弥呼が魏の皇帝から下賜され一〇銅鏡との関連をめぐり、邪馬台国やまたいこく】の所在論争とも絡んで論議されており、その点からも貴重な資料である。
 なお、伴出した鉄刀【てつとう】一口と、古墳年代決め資料としての土師器【はじき】類一六箇分も、附として共に保存図りたい


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