採石場へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 14:09 UTC 版)
1961年(昭和36年)、香川県の認可を得た四国砕石工業がこの古墳の直下で採石を開始した。採石場となった直下の斜面一帯は露天掘りの要領で大幅に削られ始める。すると、この斜面のピークに位置する古墳では、すぐ脇にまで断崖絶壁が迫るようになり、遂には古墳自体の後円部も土壌と一緒に削られる至った。そのため、1980年(昭和55年)に高松市は四国砕石工業に対して採石の中止を要請、翌年1981年(昭和56年)には約50年ぶりの発掘調査を行い、戦前に出土していた伝世鏡「獣帯方格規矩四神鏡」の欠損部分が新たに出土して完全形となったことは大きな話題となった。更に、築造の年代については全国最古級であることが判明し、古墳の始まりや国家の成り立ちなどを知るうえで非常に価値のある文化遺産として知られることになった[リンク切れ]。しかしこの古墳自体、採石場脇の不安定な崖の上で常に崩落の危険にさらされ続けたものの、具体的な保存措置がとられることはなく、事実上放置されてきた[リンク切れ]。
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