採石地として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 05:06 UTC 版)
Clip 石英の細い岩脈が緑色の岩肌に映える。 三波石峡で顕著に見られる三波石は、美しい青緑色から緑色、黄緑色をとる岩石(緑色片岩)に白色の石英の細脈が走っていて、これが峡谷の強い水流によって磨かれて岩肌に紋様となって現れている。その美しさによって古くから銘石(名石)として知られてきた。 古いものでは寛永年間(1624年 - 1645年)の史料に三波石の採取に関する言及があり、少なくとも江戸時代初期には庭石用の銘石として知れ渡っていたものと推定されている。三波石はその美しい緑色が色褪せせず、庭石に向いていることも特徴である。安永3年(1774年)の『上野国志』でも「此川石美なり」として三波石が紹介されている。その一方で、「些少なりとも取る事ならず、山荒れると云ひ伝ふ」との記述もあり、採石が禁じられていたとも推測される。 峡谷は昭和32年(1957年)7月3日に国の名勝・天然記念物に指定され、指定区域内での石の採取は禁止された。しかし三波石は日本庭園に不可欠な庭石として人気が高く、旧鬼石町など周辺地には採石業者や庭石業者、販売業者、造園業者などが集まり、その数は550戸におよんだ。昭和43年(1968年)に下久保ダムの完成した後はこの付近での採石量は減ったものの、全国から緑石を集めるようになり、付近は東日本では最大の庭石の集散地となっている。
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