新潟県馬高遺跡出土品
主名称: | 新潟県馬高遺跡出土品 |
指定番号: | 461 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1990.06.29(平成2.06.29) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | |
員数: | 一括 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 馬高遺跡は信濃川中流域の左岸になだらかに張り出す関原丘陵上の北部緩斜面に位置する。小支谷を隔てた西には三十稲場【さんじゆういなば】遺跡(縄文時代後期)が存する。馬高・三十稲場の両遺跡はともに明治年間より遺物が採集されていたが、昭和十年秋頃より近藤篤三郎【あつさぶろう】等によって馬高遺跡の発掘調査が開始され、昭和十六年まで散発的に続けられていた。本遺品はこの一連の調査中の昭和十一年、馬高遺跡七号地点の住居跡内より押しつぶされた状態で発見されたものである。鶏冠【けいかん】状の把手、および平縁部【へいえんぶ】に付された隆帯鋸歯文【りゆうたいきよしもん】の存在から、早くより「火焔【かえん】土器」と呼称されてきたものである。戦後、発掘調査が進み、この種意匠の土器は、新潟県および福島県西部に分布することが判明し、それらの土器を「火焔形土器」と総称している。本土器は、口縁部文様の一部に沈線【ちんせん】による装飾がみられる以外はすべて隆帯による装飾となっており、縄文は使用されていない。器面の文様空白部をもたず隆帯でうめつくす装飾手法・渦巻文【うずまきもん】を変形させ、それを随所に嵌め込む手法は、縄文土器の器面装飾法の一極致を示し、華麗さ・力強さ・造形のバランスをみごとに表現し、美術的にも優れた作品である。火焔形土器の基準として、その学史的・学術的価値は極めて高い。 |
考古資料: | 播磨極楽寺経塚出土品 新潟県室谷洞窟遺跡出土品 新潟県小瀬ケ沢洞窟遺跡出土品 新潟県馬高遺跡出土品 方格規矩四神鏡 旋帯文石 日向国児湯郡持田古墳出土品 |
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