文化・みどころ
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「プーラ (クロアチア)」の記事における「文化・みどころ」の解説
豊富な政治史の結果として、プーラは古代と現代、地中海と中央ヨーロッパの文化と言語が混じり合う地となった。プーラの建築物はこれら歴史の積み重ねが反映されている。住民は外国語に堪能であることが珍しくなく、特にイタリア語、またドイツ語・英語のできる者が多い。1904年10月から1905年3月にかけ、アイルランドの作家ジェームズ・ジョイスが市内のベルリッツ校で主にオーストリア=ハンガリー帝国海軍将校に英語を教えていた。彼はプーラ滞在中に、ウィリアム・バトラー・イェイツとジョージ・ウィリアム・ラッセルの両方を当てこすった片面刷りの印刷物を、プーラの印刷所で編刷した。 古代ローマ遺跡が保存されていることが有名である。旧市街には狭い通りを挟んで中世及びルネサンス期の建物が軒を連ねる。そして未だローマ時代の敷石が敷かれている。 プーラ円形闘技場 - 紀元1世紀に建てられた円形闘技場。この種のものでは世界で6番目に大きい。保存状態が良く、毎年夏に映画祭の会場となる。第二次世界大戦時のイタリア・ファシスト政権下では、イタリア本土へこの円形闘技場本体を移送する案が出されたが、輸送コストがかさむため断念した経緯がある。 セルギウスの凱旋門 - 紀元1世紀に建てられた凱旋門。 アウグストゥス神殿 - 紀元前後に建てられたローマ神と初代皇帝アウグストゥスに捧げられた神殿 双子門(クロアチア語版) - 古代ローマ時代からの市壁に開けられた10箇所の門のうちの1つで、2世紀から3世紀頃の建設。現在はイストリア考古学博物館の正面ゲートとして使われている。 ヘラクレス門(クロアチア語版) - 古代ローマ時代からの市壁に開けられた10箇所の門のうちの1つで、紀元1世紀の建設。アーチの最上部にヘラクレス神の頭部とされている浮き彫りがある 小ローマ劇場(クロアチア語版) - 1世紀に造られたと考えられるローマ劇場。かつて古代ローマ時代にはこの劇場より大きなローマ劇場(未発掘)が存在したため、こちらを小ローマ劇場と呼んでいる。 聖マリア・フォルモサ教会(クロアチア語版) - 6世紀、東ローマ帝国時代の建築。ギリシャ十字型。ラヴェンナの教会と似ている。床と壁は6世紀のモザイク画で飾られており、ガッラ・プラキディア廟堂のモザイク画に似ている。ベネディクト会派修道院と隣り合っていたが、修道院は16世紀に打ち捨てられた。1605年にヴェネツィアにプーラが占領された際、礼拝堂の財宝がヴェネツィアへ持ち去られた。東方風の石膏製円柱は、現在サン・マルコ寺院の祭壇後部に立っている。 フランシスコ会修道院教会(クロアチア語版)) - 13世紀後半に建てられた。現在の建物は1314年にロマネスク様式で建てられ、バラ窓はゴシック様式である。 プーラ大聖堂(英語版) - 6世紀に建てられ、10世紀に拡張された。ローマ時代からキリスト教徒が祈りを捧げる場であった。ジェノヴァ、ヴェネツィアの攻撃で破壊された後、15世紀にほぼ完全に再建された。ロマネスク、ビザンチン様式の名残が見られる。ファサードはルネサンス期に加えられた。 聖ニコラ教会(クロアチア語版) - 6世紀に初めて建てられ、10世紀に一部が再建された。1583年、主としてキプロスとナフプリオンからの移住者のための正教会教会となった。 プーラ城塞 - 旧市街の中央の丘にそびえる。4つの堡塁を持つ星形の城。ローマ時代のカピトリウムの跡地に、14世紀ヴェネツィア共和国がフランス人建築家の案を採用して建てた。1961年からイストリア歴史博物館となっている。 イストリア考古学博物館 - ローマ劇場と双子門近く。1802年、フランスの将軍オーギュスト・マルモンがアウグストゥス神殿の石の記念像を収集したことに始まる、コレクションを所蔵。1949年開館。プーラ周辺の、先史時代から中世までの所蔵品をもつ。
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