当時の音楽ファンと「日本語ロック論争」その後とは? わかりやすく解説

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当時の音楽ファンと「日本語ロック論争」その後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 01:42 UTC 版)

日本語ロック論争」の記事における「当時の音楽ファンと「日本語ロック論争」その後」の解説

はっぴいえんど契約したURC・レコード通信販売メーカーでのち移籍したベルウッド・レコードキングレコード傘下では直轄ではないインディーズレーベルアングラ存在のままで解散した。、論争火付け役であった内田裕也フラワー・トラベリン・バンドワーナー・パイオニアアトランティック・レコード、それに鈴木ヒロミツザ・モップス東芝音工のリバティ・レーベルと発売元インディレーベルメジャー大手販売力大きな差はあったがアルバム・レコード販売当時価格設定高価だったことから国内購買市場小さくどちらもセールス大きな差は無い状況だった。ラジオテレビマスメディア出演地方演奏公演機会両者とも少なく知名度人気はほぼ大都市部圏の音楽マニア限られていた。かつてビートルズなどに影響され歌謡曲ジャンル一つグループ・サウンズからデビューした多くバンドの中では洋楽マニアアニマルズ影響公言するなど異色だったザ・モップスホリプロ所属したことから音楽限定されない活動行ったが、バンド活動伸び悩み理由1974年解散している。これとは前後してフォークフォーク・クルセダース出身加藤和彦サディスティック・ミカ・バンドが、イギリスEMIハーベスト・レコードからアルバム発表ロキシー・ミュージック共演果した頃にはかつては英米ロック憧れ影響され和製洋楽から独自性打ち出し国境越えて錯誤創造展開した。 この論争の中で「日本のこれからロック日本語で歌うべき」とする人々が、はっぴいえんど日本語によるニューロック創始として支持し、これがのちの再評価のなかで「すべての日本語のロック創始はっぴいえんど」という「偏見」が広まった直前グループ・サウンズブーム創始期1965年日本クラウン・レコードから田辺昭知とザ・スパイダースモンキーダンスツイスト影響されかまやつひろし作詞作曲によるオリジナル曲フリフリ」で「日本人による日本語ロックンロール」を展開している(翌年日本ビクター・レコードフィリップス・レコード契約が行われ、著作権都合録音英語詩で「フリ・フリ'66」と改題し再発売された。)。エイプリル・フールから発展したはっぴいえんどが「日本語のロック」を志すなかでシングル盤1968年からっぽ世界」、ジャックス1969年「ほんとだよ」遠藤賢司それぞれレコードデビューしたこの両者参考にした発言出典定本はっぴいえんど」)も残されている。はっぴいえんど既存芸能プロダクション契約とは外れてラジオテレビ出演限られ当時の音楽状況証言に、2010年1月12日BS2放送された『MASTER TAPE荒井由実ひこうき雲」の秘密を探る〜』で、松任谷由実デビューアルバムひこうき雲』に参加した細野へ「(経歴参加していたバンドはっぴいえんど当時知らなかった」と発言している。荒井昼間ジャズ喫茶などでグループ・サウンズザ・モップスなどを聞く一方エイプリルフールディスコはっぴいえんど日比谷野音など大学生以上が参加し風紀環境良くない場所で夜に演奏する機会多く接点少なかったオフコース1969年デビューした小田和正著書風のようにうたが流れていた』(2005年宝島社)で自身私的音楽史述べているがはっぴいえんど言及はなく、前述したように「西のフォークと東のロック」に表される障壁から交流限定され学生運動連帯し頭脳警察特殊な存在で、小田和正オフコース参加したヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト新人ミュージシャンへ支援活動活発化ロックフォーク隔たり無く門戸を開げたにもかかわらず出直し迫られるなど当時ミュージシャン音楽ファン人口推察される。ロカビリーやビートルズブームで「ロックンロール不良音楽」、「エレキ・ギター非行のもと」、「長髪マッシュルームカット)は風紀破り不良証拠」と嫌悪されたものは受験戦争問題化し全国規模深夜ラジオブームなどマスメディア変節時代変化から、大都市部圏の音楽マニアから全国若者達へと広がり聴取者拡大ロックフォーク隔たり下げてハードロックなど偏向した分野除いてニューミュージック呼ばれる日本ポップス文化へと移行する

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