当時の音楽状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 10:02 UTC 版)
「フォーライフ・レコード」の記事における「当時の音楽状況」の解説
戦後からレコード会社主導で発展して来た日本の音楽界では、アーティストがレコード会社を持つということは非常に挑戦的なことであった。歌手・アーティストが曲の制作から広報、営業まで強い権限を持つことで、それまでの組織型の業界のシステムを根本から覆してしまうと、音楽業界の反感は強かった。当時の音楽業界はレコード会社の権限が圧倒的に強く、アーティストは契約"される"側で、経営者はアーティストを選別、売れなくなると切り捨てるという関係が当たり前だった。自作自演が中心だったフォークとは無縁のようでいて、年3枚のアルバム契約の縛りや、自身の意向とは無縁のシングル盤リリースなど、対レコード会社との力関係は圧倒的にアーティストに不利だった。吉田がエレック時代は社員扱いのため給料制で、CBS・ソニーに移籍した際、莫大な印税が振り込まれ驚き、アーティストの権利について初めて考えたといわれる。 事態を憂慮した日本レコード協会は定例理事会を開き「吉田、井上らの新レコード会社の販売は引き受けない」ことを申し合わせ、各レコード会社にプレスも販売も認めないでくれと通達がまわった。海外ではビートルズやローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンなど、当時から自分のレコード会社を持つアーティストは多かったが、それらも自分たちが録音したものを既成の大メーカーに売るという制作会社で、この時のような制作から販売までするということではなかった。 業界筋、ジャーナリスト間では"実現できそうもない夢だよ"との見方が大方であったが、マスメディアの反響の余りの大きさに小室、吉田、井上の3人は今更引くに引けなくなり"意地でもやり抜こう"と結束。吉田の友人の中には、プロダクションから吊るし上げに遭う者も出た。しかし多くの若者、フォークファンは賛辞を送った。2008年に吉田の曲を全編にわたって使用する映画『結婚しようよ』を監督した佐々部清は「レコード会社に喧嘩売った幕末の志士みたいでカッコよかった」と述べている。吉田ファンの重松清は、自身を「フォーライフ世代」と述べている。 最も問題となったのはレコードのプレスと流通ルートであった。それらは殆んど大手レコード会社が持っていたため業界から圧力をかけられ、やむなく人件費が日本より安くなる韓国でのプレスや通信販売まで検討。ただ大きな売上が予想されるだけに手掛けたいというのが各レコード会社の本音ではあった。そこへ当時ポニーおよびキャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)の社長であった石田達郎が救いの手を差し伸べ、プレス・販売元をキャニオンレコード、販売委託をポニーが受け持った。
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