当時の音楽ファンと「日本語ロック論争」その後
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「日本語ロック論争」の記事における「当時の音楽ファンと「日本語ロック論争」その後」の解説
はっぴいえんどの契約したURC・レコードは通信販売メーカーでのち移籍したベルウッド・レコードはキングレコード傘下では直轄ではないインディーズレーベルでアングラな存在のままで解散した。、論争の火付け役であった内田裕也のフラワー・トラベリン・バンドはワーナー・パイオニアのアトランティック・レコード、それに鈴木ヒロミツのザ・モップスは東芝音工のリバティ・レーベルと発売元はインディレーベルとメジャー大手で販売力に大きな差はあったがアルバム・レコードの販売は当時価格設定が高価だったことから国内購買市場は小さくどちらもセールスに大きな差は無い状況だった。ラジオやテレビのマスメディア出演や地方の演奏公演機会は両者とも少なく、知名度や人気はほぼ大都市部圏の音楽マニアに限られていた。かつてビートルズなどに影響され、歌謡曲ジャンルの一つグループ・サウンズからデビューした多くのバンドの中では洋楽マニアでアニマルズ影響を公言するなど異色だったザ・モップスはホリプロに所属したことから音楽に限定されない活動を行ったが、バンド活動の伸び悩みを理由に1974年解散している。これとは前後してフォークのフォーク・クルセダース出身加藤和彦のサディスティック・ミカ・バンドが、イギリスのEMIハーベスト・レコードからアルバムを発表、ロキシー・ミュージックと共演を果した頃にはかつては英米ロックに憧れ影響された和製洋楽から独自性を打ち出し国境を越えて錯誤創造へ展開した。 この論争の中で「日本のこれからのロックは日本語で歌うべき」とする人々が、はっぴいえんどを日本語によるニューロックの創始として支持し、これがのちの再評価のなかで「すべての日本語のロックの創始ははっぴいえんど」という「偏見」が広まった。直前のグループ・サウンズブーム創始期1965年に日本クラウン・レコードから田辺昭知とザ・スパイダースがモンキーダンスとツイストに影響されたかまやつひろし作詞作曲によるオリジナル曲「フリフリ」で「日本人による日本語のロックンロール」を展開している(翌年日本ビクター・レコードのフィリップス・レコードと契約が行われ、著作権の都合新録音英語詩で「フリ・フリ'66」と改題し再発売された。)。エイプリル・フールから発展したはっぴいえんどが「日本語のロック」を志すなかでシングル盤1968年「からっぽの世界」、ジャックスや1969年「ほんとだよ」遠藤賢司のそれぞれレコードデビューしたこの両者を参考にした発言(出典「定本はっぴいえんど」)も残されている。はっぴいえんどは既存の芸能プロダクション契約とは外れてラジオやテレビ出演は限られ当時の音楽状況の証言に、2010年1月12日にBS2で放送された『MASTER TAPE 〜荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る〜』で、松任谷由実はデビューアルバム『ひこうき雲』に参加した細野へ「(経歴で参加していたバンド)はっぴいえんどは当時知らなかった」と発言している。荒井は昼間ジャズ喫茶などでグループ・サウンズのザ・モップスなどを聞く一方エイプリルフールはディスコ、はっぴいえんどは日比谷野音など大学生以上が参加し風紀や環境の良くない場所で夜に演奏する機会が多く接点は少なかった。オフコースで1969年デビューした小田和正は著書『風のようにうたが流れていた』(2005年、宝島社)で自身の私的音楽史を述べているがはっぴいえんどの言及はなく、前述したように「西のフォークと東のロック」に表される障壁から交流は限定され学生運動と連帯した頭脳警察は特殊な存在で、小田和正とオフコースが参加したヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストが新人ミュージシャンへの支援と活動活発化でロックとフォーク隔たり無く門戸を開げたにもかかわらず出直しを迫られるなど当時のミュージシャンと音楽ファン人口が推察される。ロカビリーやビートルズブームで「ロックンロールは不良の音楽」、「エレキ・ギターは非行のもと」、「長髪(マッシュルームカット)は風紀破り不良の証拠」と嫌悪されたものは受験戦争が問題化し全国規模の深夜ラジオブームなどマスメディアの変節と時代変化から、大都市部圏の音楽マニアから全国の若者達へと広がり、聴取者の拡大はロックとフォークも隔たりを下げてハードロックなど偏向した分野を除いてニューミュージックと呼ばれる日本のポップス文化へと移行する。
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