広報・宣伝
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北海道放送(HBCテレビ)の日曜13:54 - 14:00・木曜22:54 - 23:00枠天気予報でスポンサーを務めている。 かつては、ラジオ番組『サタデー夢ラジオ』(青森放送)内における「交通情報」(9時20分頃から放送)内で、空席情報を告知していた。
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広報宣伝
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玉川は、ボンタンアメを売り出すべく、小学校卒業後から奉公した『天狗煙草』で学んだ派手な宣伝手法により、薩摩隼人をイメージした陣羽織に「ボンタンアメ」と書かれた旗指物で扮装し、チンドン屋を従えて日本全国を練り歩くといった宣伝を行い有名になった。後に2代目社長となる長男・玉川秀一郎も、チンドン屋部隊の旅に加わり歩いたが、沖縄に渡った際には、うっかり赤線区域に紛れ込んでしまい女性たちに囲まれ、旗差物も打ち棄てて命からがら逃げ帰ったとこともあった。東京から沖縄まで宣伝を行ったチンドン屋部隊を、さらに樺太、中国大陸、朝鮮半島にも送り込み、ボンタンアメは日本だけでなく朝鮮、台湾、満州、中国大陸へと販売網を広げ、当時としては珍しい宣伝部長が会社にいたほどだった。また、ハーレーダビッドソンの売り出しに便乗して、ガソリン代を提供する代わりに兵六餅の名をオートバイの車体に書かせ、全国を走り回らせた。他にも、玉川はボンタンアメの広告塔を兼ねたトラックや三輪車を日本全国くまなく回らせた。 昭和3年(1928年)には、雨と飴をかけた「空からアメを降らせよう」という発想から、払下げの軍用機を1機5千円で購入し、空からボンタンアメを撒こうという宣伝計画もあり購入契約もまとまった。宣伝課長と総務課長が飛行機を受け取るため東京へ向かうにあたり、鹿児島市の鶴鳴館で開かれた壮行会は新聞にも写真入りで掲載されるほどの前評判で、飛行士の準備も出来ていたが、折からの不景気で送金できなかったため、東京に着いた課長2人の元に資金が届かず、帰社を指示する「スグカエレ」の電報が届いて頓挫することとなった。この出来事を玉川壮次郎お得意の宣伝のテクニックと言う者もいたが、玉川は「本当にやる気だったが、あれだけ世間が騒いでくれたから飛んだも同じ」と笑い飛ばしたとのこと。夏場は暑さで製品が棚で溶け出すと小売店から苦情が出た際には、玉川は品質改良したボンタンアメをブラジルへ送り、無事溶けないことを確認した後、新聞一面に大きな広告で「ボンタンアメ赤道直下、無事ブラジル到着」と、たった1行の宣伝文句を載せた。全国に名を売ったボンタンアメは、発売からわずか5年で偽者が出回るほどだった。 昭和10年代の新聞広告では、「南國の味ボンタンアメ」「一個 金五銭」「ミナケイヒンイリ」と記載されており、戦前はおまけも付けて販売され、昭和までは様々なホーロー看板も日本全国各地に設置されていたほか、戦前には「ボンタンアメ特約販売店」と書かれたホーロー看板を設置している店もあった。キャッチコピーも、かつては「旅のお供に」で様々な新聞広告やテレビ及びラジオ等のCMを打っていたが、現在は「ときどき、ずっと」を使用している。サザエさんなどのように製品が愛されたいという想いから、鹿児島県や宮崎県ではサザエさんが現在は放送されている午後6時半の直前に30秒アニメCMも流されている。都営地下鉄をはじめ、日本全国各地でつり革広告も打たれており、YouTubeのセイカ食品公式チャンネル『なかよし時間』では、ボンタンアメの鹿児島県や宮崎県で放送されたテレビCMをはじめとした関連動画が公開されている。後述のボンタン農家による『ボンタンプロジェクト』が、東京都、大阪府、京都府、岩手県、千葉県、愛知県、石川県、和歌山県、兵庫県、徳島県、鹿児島県などの銭湯と協力して行っている取り組み「阿久根ボンタン湯」でも、ポスター、のれん、PR活動用はっぴや関連商品に、セイカ食品が無償でボンタンアメのパッケージデザインをアレンジしたデザインが提供され使用されている。
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