平塚川添遺跡とは? わかりやすく解説

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平塚川添遺跡

名称: 平塚川添遺跡
ふりがな ひらつかかわぞえいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 福岡県
市区町村 朝倉市
管理団体
指定年月日 1994.05.19(平成6.05.19)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 福岡県西南部には、筑後川とその支流である小石原川佐田川荷原川形成した平野広がり古くから交通の要衝肥沃な土地として知られてきた。この地域には旧石器時代から始まって多く遺跡分布し、特に弥生から古墳時代遺跡氾濫原自然堤防上の高地顕著である。平塚川添遺跡は、この地域代表する弥生時代中期前半から古墳時代初頭にかけての大規模な集落遺跡であり、濠を伏流水の多い標高23メートル前後氾濫原に数条もち、内部のやや高い乾燥した平坦地居住域としている。北東隣接してほぼ同時期の平塚の上遺跡がある。両遺跡の東には4メートルほど高い広大な福田台地があり、台地周辺部前漢鏡戈、貝輪などが発見され弥生時代中期から後期甕棺墓土壙墓円形周溝墓、古墳時代前期方形周溝墓前方後円墳などと、それぞれの時期集落遺跡とが点在している。
 平塚川添・平塚の上遺跡含めた地域工業団地計画され平成3年11月末から甘木市教育委員会が約4・5ヘクタール対象事前調査開始した調査の進〓(*1)にともない次第にその重要性認識され翌年11月末からは福岡県教育委員会調査協力してほぼ全体様相確認できた。その結果、平塚川添遺跡を中心とした地域、約11ヘクタール保存することとなった
 本遺跡は、弥生時代中期前半と、弥生時代後期中ごろから古墳時代初頭にかけての2時期にわたる。弥生時代中期前半については、集落の東半分様相確認し多数竪穴住居土坑発見した。また一部の濠がこの時期に堀削された。
 再び後期中ごろ居住開始し最終的に合計7重の濠をもつ集落となった中央の高地には広場設け南東接して棟方向を北西南東揃えた桁行四間梁間2間の大型堀立建物4棟並ぶ。広場の南から北を半月形に取り囲んで長方形竪穴住居が数軒ずつまとまって合計200棟ほど存在する竪穴住居は、中央に炉を置きそれを挾んで長軸方向主柱穴を2か所配するものが多い。また竪穴住居群の北東端の東、環濠との間に周辺に縁と見られる柱穴をもつ桁行3間梁間2間の大型堀立建物がある。この集落跡の最高所立てられ最大建物である。一方広場の西、環濠竪穴住居群の間には、甕棺墓7基と石棺墓七基がある。
 これら建物跡広場などからなる中央部は約2ヘクタールあり、南北220メートル東西120メートル内濠楕円形囲み、その外側全体を2重に巡る濠が存在する。さらに台地反対西側低地には、3ないし4重の濠があり、自然流路そのままあるいは若干造成し部分もある。全体南北400メートル東西250メートル上の広さをもつほぼ楕円形の環濠集落となる。濠はおおむね断面字形で幅約6から10メートル深さ約1メートルであるが、6重目規模大きく幅約33メートル深さ約2メートルで内斜面垂直に近く斜面は緩やかである。また5重目の濠の内斜面上に3列、外斜面上に1列、6重目の濠の外斜面上に1列、柱穴が約2メートル間隔で並び、柵と考えられる
 環濠の間には、濠の一部大きく外側曲げて6か所以上の区画設けていた。中央部南西内濠の外の区画は、堀立建物だけからなる倉庫域である。この区画北側内濠の両斜面には柱穴一対ずつあり、中央部通ず橋脚考えられる一方中央部北東、3重目の濠の外の区画には中央竪穴住居群があり、その東西堀立建物郡が発見された。西には楕円形の周濠をもつ堀立建物があり、福岡県春日市須玖岡本遺跡須玖永田遺跡など青銅器鋳造工房跡推定され遺構に似る。この区画からは貨泉管玉未製品、そして南隣の濠からは鼠返しなどの木器と共に多量木器未製品板材などが出土した工人集団居住作業区域推定できる。なお、この区域に近い中央部北側竪穴住居から、碇石転用し銅矛鋳型片を発見している。
 環濠部で多数柱根礎板などを発見し防腐のために表面焼いたものもある。濠のなかからも梯子鼠返しなどの建築部材発見したまた、平鍬三叉鍬、鋤、竪杵、砧、手綱、〓(*2)部材手斧柄、植物遺体なども豊富に残っている。また全域から多量土器出土し中央部からは2点小型〓(*3)製の内行花文鏡を含む銅鏡3面銅鏃銅戈耳部などを発見した
 平塚川添遺跡は、防御排水のためと考えられる多く環濠をもち、住居域・工房域・倉庫域などが分化し大型堀立建物をもつ大規模な集落遺跡である。この遺跡がもっと拡大した弥生時代後期後半中国史書伝え倭国大乱から耶馬台国時代相当し、そこに記された「国」の実態理解する上できわめて重要である。よって史跡指定し、その保存図ろうとするもの
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  幡多廃寺塔跡  平出遺跡  平城京朱雀大路跡  平塚川添遺跡  平安宮跡  平川廃寺跡  平戸和蘭商館跡


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